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こすが歯科医院 ブログ

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心身医学を介しての葛藤(その12) ~リエゾンの意味

歯科医である私から見ても、顎関節症は沢山、治せると謳う方々がいて(真剣に取り扱っている方々がいる事は肯定しております)、こける状況です。

これを、心身医学を取り扱っている先生方の立場に立って、考えれば、歯科が、歯医者が、心身医学の知識も無いにも関わらず、治ると唄う事は、まさに、彼らの立場に立つと、“で、ついでに、まだいうか!“と、発展性が無いような気がしてなりません。

発展的な関係の下、連携できれば、どれだけ、有用かと、時々思います。

精神科と連携して病態をみるという解釈を与えるのが正しいような気がします。

リエゾンの意味です。

以下に記す事は、リエゾンにおいての代表的な状態だそうです。
精神科からみえる世界なんだろうなって、私は勝手に思っています。
この見える世界を歯科治療の関わっている所も私なりに分析したく思います。

赤字歯科治療行為としましょう。青字は、それと関係すると思われる?歯科治療のせい?としましょうか?茶色歯科治療が必要としてみましょう。

  1. 自覚症状があるが、それに見合う他覚的所見がない
  2. 自覚症状があり、身体的他覚的な所見があり、その他所見で自覚症状を説明できるか難しい
  3. 明らかに口腔内に疾患がある
  4. 明らかに口腔疾患であるが、その身体症状が環境変化によって憎悪する
  5. 審美、美容外科的行為が存在する
  6. 口腔領域に不随運動を有する
  7. 過去に不適切な処置が行われている

 

で、今度は歯医者から、この言葉の意味を考えてみましょうか?
見方を変えると、身体面への治療が良くならないとの理由で、精神科に依頼をかけてもそれは、非常に難しい側面もでてくるのではないかと思うのです。⑤⑦が該当する気がします。

また、身体面を徹底的に治してから精神面を考えるという行為も、不適切につながるかもしれません。①②がそれに当たるのではないかと思うのです。ところで、この場合、歯医者の言う身体面って何?

①②⑤⑦に関しては、見方を変えれば、倫理面という側面の解釈もできますが、見方を変えれば、環境面の影響という言い方も出来る気がします。

そして、臨床現場においては、どれだけ、治療行為に関し、基本に忠実かが大事になってくるような気もします。最低それだけはお伝えすべきと思います。
また、無理な治療行為はどれだけのリスクを持つのか、歯科界も知っていく必要が、こんなリエゾンという考え方や、他科の見解からも実は見えてくる気がします。(リスクの理由もどこかで、気が向いたら触れてみたく思います)

とすれば、セカンドオピニオン外来を仮に行う事を考えられるのならば、少なくともそのクリニックの専門領域について行われる方が、実は迷惑をかけづらいのかなって思ったりもします。

私は、とてもではないですが、そんな大それた事は掲げようとは思いません。

おしまい。

不適切な治療

ここで、考えていただきたい事は、不適切な治療という言葉です。

我々歯科医も、歯科業を生業にして生きております。
保険行政は、如何に医療費削減というテーマで、その部分のみ執着するがごとく、あの手この手と、私から言わせれば、本質論から外れた所で、意見を、現場学を知らない方々が自信を持って言うものと、感心しています。

15分を一単位で作られていた時代。
理想は1時間の内容を、15分を基本とするという単位で作られてた制度。

これでも、命は守られます。
命を守る事を主に考えられた制度であれば、何も疑問の余地を挟む必要性はないと思います。

それが不適切か否かは。
命は保証されているわけですから。

不適切でも、命にかかわる敗血症、菌血症等の感染から守る貢献は十二分にしてきた物と思います。問題は21世紀も、感染症の時代なのかが大事だと思います。疫学的考え方です。改めて、歯科界は、その一考がいるような気もしますが…どうなのでしょう?

しかし、命で無く、健康に価値の移り変わりが起きているのが今の時代と僕は思います。高齢化社会になればなるほど、健康へのこだわりが世相として大きくなるのは当然のような気がします。今回は何気に心の健康という事もテーマにしています。

そして、この思想の先には何が見えるのかなって、僕自身、興味を持っておりました。私のフィルターからはこんな世界観しか出てきませんでした。

その中で、不適切な治療という言葉を、医科サイドから提言をされているように思いました。これは、私の解釈です。先入観があるかもしれません。ご注意を。しかし、仮に不適切であれ、歯医者の生活の為には、15分を主体に強引であれ、業を成すという行為も、従事者が生きていくという行為の前では否定できるものではありません。私は、そのように考えます。これは、一般論で、当院がどうしているという議論に、お付き合いする意思はありません。

回転寿司のごとく、回転させるしかないのが、歯科の保険行政が導き出した生きる方法論のように思います。

この制度が、本当に制度疲労をしていないのか、改良で済むレベルなのか、あるいは、抜本的に構成し直さないといけないのか、おそらく、この議論を抜きには解決案を求めてはいけない気もします。今回の政権交代でも、目先、こて先に、少なくとも保険行政に関しては行われているような気がしてなりません。交代したばかり故、おかしいと声を荒げようとも思いません。寂しいとは思いますがね…
マスメディアの方々を、結構、茶化す文章を書いておりますが、実は、マスメディアにおける啓蒙や、教育(患者に—もし、医療サービスと捉えるならば、消費者、医師に—もし、医療サービスと捉えるのならば、提供者)を行う場合、その効果は大きいという研究データ?報告?などもあります。ヨーロッパの方でしたが…是非、実践して欲しく思います、個人的には…

そして、事実を自社のフィルターで、こだわる部分のみ報道をして(この行為は否定されるべきものではありません)この抜本に関わる部分は、触れないという行為は、どうなのだろうと思う時があります。意見を持つ事は悪い事なのでしょうか?でも、出来ないならば、あるいは、能力が無いのならば、マスメディアという肩書を、情報を流す仕事、言われた情報を面白おかしく噂に変える仕事と、その位置づけを変えるべきと思います。何も知らない一人のつぶやきです。

少なくとも、医療界の片隅とはいえ、そこで生きている私には思えます。

まだ、元気な人が多くいる時期に、ちこっとでも、考える社説医療改革を求める(野次るだけではなく)必要性を訴える分析を報告して所感を言う批評家、評論家?ではなく)是非とも、生きた責任を取る覚悟をした社説を私は、目を通してみたく思います。今も、それが、楽しみです。

そんな所から、アクションを起こしていかなければ、不適切な治療は解決していかないのではないかと思います。

ある大臣のセリフ

ある時、ある大臣が素朴にこんなセリフを言っておりました。

『物価が下がっているから、診療報酬を下げる』

ところで、診療所に勤める職員の給与、家賃は下げられないのに、何故こんな議論が提起されるのでしょう。
「診療報酬=医師の収入」と安直な誤解から生まれていると思います。
同時に、想像力が無いのか、国語力が無いのか、昔風に言えば、おつむが弱いのか…馬鹿? 間違いました、恥知らず!と、何故か、はっきりとお伝えしたくなる衝動が湧き上がりかけました。あきらめました。魚みたいな曇った目に感じましたので…

一つ、政治家の言葉は非常に大きいと思います。まあ、随分、思いついた事を配慮抜きに言った物と感心します。浅はかな人と思います。優しい僕は、カメラの前で緊張して、ついつい言ったのだろうと、心を落ち着けるため、野菜ジュースを飲んでみました。

厚顔無恥とか、羞恥心とか、破廉恥なんて、言う具合に、表せるのかもしれません。
恥を重んじる廉恥の国が、恥も外聞もなくという、この国を大きくした、強くした精神を忘れる事はあって欲しくないと思うのは、私が、寂しい人間だからでしょうか?

公なメディアも、評論家も、ただ、スルーしていたように記憶しておりますしね…
やっぱり、寂しい人間なのだと思いました。こらえる為、緑黄色のジュースから渋い葡萄色のジュースに変えてみました。

ただ、一つ誤解無きようお願いしたい事は、診療報酬とは医業を運営していく全ての費用の原資のことです。

あと、おまけですが、経営者として金策に走り(昔と違い金融機関は医療機関になかなか融資をしてくれません)、職員の不満・悩みを聞くなど多忙な日々を送るようですよ。標榜時間に終わると思ったら、甘いですよ。事実、私の労働時間は、勉強時間も入れれば、一日18時間なんてしょっちゅうです。労働法の保護も無いです。残業代もありませんしね…

気持ちを入れ替えて話を進めていきましょう。寂さなんて、サヨナラと行きましょう。

あ、そう、あと一つだけ。
医療経済実態調査の数値は条件を少し変えるだけで大きく変動します。だから、財務省の数字の強い方は、本当に頭がいいと思いますし、それを、見抜く力がない警鐘、啓蒙の方々には、是非、頭を良くする根野菜系のジュースを飲んで賢くなって欲しく思います。嫌味です。多分…

で、そうなると、手っとり早く、コンプライアンスを守るためと称して、自費医療に走る人々も生まれるのかもしれません。
保険の延長線上の、材料がいい素材を使うだけの自費治療行為に走る人々も生まれてくるかもしれません。

生きていくためです。受け入れてください!と、メッセージを送るのが正しいのでしょうか?野菜ジュースをこの頃飲まなくなった私には分かりません。

ただ言える事は、自身の腕を信じ、腕一本で医療を自費で責任を取る覚悟を持たれた先生方とは、明らかに違うように、私は思います。

その差は如何に?
ここで、おしまいにします。

*デフレの脱却を課題に置かれている方々に質問してみたく思う時もあります。医療産業をデフレの真っただ中に国策か、意図的か、無意識かは存じ上げませんが、何十年と医療界を巻き込んでもう一度、デフレ対策を執行しようとしているように感じます。果たして、国がデフレから脱却することは出来るのでしょうか?既に安すぎる状況を今度は、どのように持っていきたいのでしょうか?外国が高いではなく、日本が安すぎるという意味を、如何に捉えているのでしょうか?さらなる次のデフレ亢進政策で、医療機関からどれだけの失業者を輩出させたいのか、そして、就職難に追いやられる新たなる人間を作り出して、どのような雇用対策をしたいのか?コンクリートから人への時代の、キャッチコピーはどのような社会構造を理想とし、目指していくのか一市民として、注目をしております。かしこ

無理な治療行為

審美、美容外科的行為が存在する、と心身医学的側面で精神科の先生方はリエゾンを行う際、分析をしていると記しました。

歯科医の私が置き換えると、無理な治療行為という言い方になります。
ここでは、詳細を省きます。
構造の世界や、機能障害の世界等々記していこうかと思ったのも、その無理な治療行為とはどんなものか、私なりにまとめたいと思った所にその動機があるのかもしれません。誰かに心理分析をしていただいたわけではないので、実際は分かりません。

本当のプロフェッショなる自費医はいます。これは、間違いのない事実です。ある専門領域では、実際、ブラックジャックといえるドクターを私は沢山知っております。(でも、両手で足りるような気がするので、果たして、何百人もいるのかと不思議に思う時もあります)

心身共にやはり大きなプレッシャーと戦っているものと私は、常々尊敬をしております。私の専門としている世界とは違っても、いつも、その感性や考え方は敬服します。生き方なぞは、漫談風ですが、見習いたい、あやかりたい、爪の垢を煎じて飲めば、その領域にいけるかと思う時もあります。だから、私も勉強を続けようと思えるのだと分析します。医者は生涯勉強という意味は、こんなところにあるのだろうと思っております。

僕が尊敬する彼らは、本当に職人気質の塊が共通項にある気がしてなりません。
しかし、例えば、暇なのか、ネット相談に積極的に顔を出す方々は、果たしてブラックジャックなのだろうかと時々疑ってしまう心せまい私もいるから不思議です。でも、同時に、良心的な存在である事は、間違いないです。私は今の所そこまで性格は崩れていないです。

自分の専門の世界に特化され、技術的な部分や、考え方を、その運営サイトの趣旨に賛同されて時々、善意で顔を出す方々とは、始終顔を出す方は、違う気がしてなりません。実際、“何かがある”と、一線を引いてみるべきなのかもしれません。私には、分かりません。
それぐらい、ネットの相談ごとは、難しいと私は、思っています。これは、個人の偏見ですので、影響されずに斜めに見ていただければと思う次第です。

一般論で解決しないものであれば、あるほど、心痛む患者も大変だと私は思います。(当人にとっては、それどころでない事は重々承知しております)

ネットを頻繁に活用するのも、知識を得る事もあるのでしょう。
ネットで相談を持ち込むのも、患者サイドからすれば、心の準備、文字を通して客観的に判断する作業もあるのだと思います。

その行為は、何ら、否定するものではなく、肯定されるべきものと思います。

しかし、問題は、現場の世界では、主治医に伝える事が出来ない。コミュニケーションが取れない、こんな所に、実は既に、問題がある気がします。

さらに、時として問題になる可能性として、積極的に自身の存在をアピールする事が、患者を誘導する、誘導商法という見られ方はないでしょうか?

患者満足が得られる限り、何ら問題はないと言えるのかもしれません。そして、その限りにおいては、誘導商法ではないとみなせるのかもしれません。しかし、そこにトラブルが生じた場合、それは、相互にとり悲劇でしかないと思います。そして、その場合、どのように判断されるのだろうと思います。難しい問題です。

思慮深さとはきっと、こういう事実をどう捉えるかという為に用意されているのではないかと思うのです。

この答えは、私には分かりません。
ただ、それでも共通して言える事に、ネットの相談サイト、HPと、情報が氾濫している中で、情報の享受者も、発信者もその思慮深さを前提に、安易ではなく冷静な判断が必要なのではないかと、私は思います。

審美、美容外科的行為が心身症に存在する、と書きましたが、そのスタートに立つ事を選ぶのは患者です。そして、そのスタート台に立つことになるのは、患者になる可能性がある“あなた”や、“あなたの近しい人か”もしれません。

この治療行為には、私の知る限りクイック矯正という名の審美補綴、インプラント治療、外科矯正、矯正、審美補綴という物が含まれているようです。ですから、よく理解され、よく考えられ、身をお任せしたい先生の思慮深さ、知識、技術等のご判断は多分にいると私は思っています。

確率論という世界なのかもしれませんが、本当に難しいと思います。
だからこそ、まずは医療界の置かれている環境も合わせて知ることも必要ではないかと思うのです。批判は簡単です。ですが、環境的側面も問題の発生に一役買っていないでしょうか?あなたの仕事評価を今までの1/10に今日からします。今までの給与が欲しければ、10倍の仕事をこなしなさいと言われて、出来る人がどれだけいるのでしょうか?

話を変えますが、一時ほどではありませんが、多重債務者の過払金という言葉を、ネットでも広告でも見かける時があります。
そして、急に、セカンドオピニオン外来が増えてきているように感じます。だから、これが流行りとして生まれてきているものであるのならば、不気味さを感じます。

アメリカでは弁護士が、事故に出合った際、救急車に乗る時には、胸ポケットに名刺、ズボンのポケットに名刺、怪我をしていない手に名刺と、その風潮を茶化したお話があります。

何か、そんな光景が見えてなりません。

医科において、セカンドオピニオンという歴史はもっと、古く、時がシャッフルをする事で、おそらく、歯科界よりは洗練された物になっている気がします。

本当に難しいですね。

※注意事項

*セカンドオピニオンは、保険行為ではありません。
*そして、患者が、まずは、自身の手で資料を主治医より、一時の拝借を行い、その行為に対して、意見を求められたドクターが、私ならこの方法より、こちらの方法を選択するとか。私も同じ考え方を持つとか。その診断に対して、私は別の診断をするとか。その一つの疑問に対して、答えるものと、私は理解しております。医者の友達に聞いた、そのまんまの受け売りです。ですので、私の解釈が実際の所、正しいかどうか分かりません。
*必要な場合、新たにその疑問に対して別の検査を、患者の同意のもと行うことも稀にあるようです。
*勿論、そのトータルの意見を主治医に伝える所まで責任が生じる。
そして、その判断に対して患者が、考える
*このようなものと、記憶しておりますが、私達の業界はいつ、そのコンサイエンスを作り、いつから始める事にしたのか、時勢に疎い私は正直分かりません。
*別に、セカンドオピニオンは、患者の権利ですから、業界のコンサイエンスは特に必要としませんが、どのセカンドオピニオン外来と唄うHPにも、その注意事項が書いてない事が、私にはただただ不思議です。

**当院にセカンドオピニオンに来られる患者においては、私と今の主治医のどちらのレベルが上か偏差値競争のような比較を求める方もいました。
**現在の主治医の不満だけを述べる方もいました。
**現在の治療行為に対する意見を言う事などは正直なかなか無く、結局、一般論のみに終始せざるを得ないときもありました。
**資料を持ってきていただいた人などはおりません
**私自身、こんな経験から、当院でセカンドオピニオンを受けいれることには、非常に否定的です。(時期尚早と思っております)
**そして、セカンドオピニオンに関しては、受け入れるべき義務はありませので、当院の基本方針は、非常に消極的という事も合わせて入れておきます。
**また、私の知っているセカンドオピニオンという世界観が、仮に正しいとするのならば、果たして歯科医同士のコミュニティーの軋轢が生じる可能性に、ライセンス者同士が耐えられるのか、分かりません。ですので、私は、非常に消極的ですし、懐疑的立場をとっております。
**セカンドオピニオンが当たり前になるまでは、医科の業界に人間関係が不穏な空気に変わった事も知っております。(噂でしょうね)
**そこに、好んで入ろうとは、今の私は思っておりません。
**何年後、成熟した関係をライセンス者同士が持てる雰囲気になれば考えてみたく思います。
**同時に、世界の1/10の評価の治療にセカンドオピニオンというのもどうかと思いますし、自費の質に手抜きはない前提との比較もどうかと思います。病名を知られているかどうか分からない方々に見解を、仮にお伝えする事もどうかと思っています。
**私は、今の仕組み(保険、自費、保険で一部自費等々、専門家、自称専門家、それ以外)が、様々なヒエラルキーを生み出した中で、セカンドオピニオンというのは、土台無理があると考えている立場の者です。
**言い方を変えれば、1960年代の考え方、21世紀の考え方と、既に半世紀時間が経過した中での時代性の様々なヒエラルキーの中で、セカンドオピニオンは、相当に難しいものがあるとも考えております。21世紀の見地で述べるのですか?1960年代の見地で述べるのですか?筋骨格系の問題として?機能障害として?正直、壁々とします。勝手ながらの、個人の想いです。
 **これは、個人の主張ですので、こんな考えを持つ輩もいると、適当に受け流していただければと思います。

ですので、セカンドオピニオン外来と打ち出せる先生方の人間性には、すこぶる尊敬の念を僕は持っております。そして、是非とも、患者を失望させて欲しくないとも思っております。これも、本音です。
くれぐれも、ネット業者や経営コンサルタントの集客アイディアに乗ったものであって欲しくありません。我々の仕事の本質は、患者の来院を待つべきものであり、集客をかける性質ではないはずです。そこに、古臭い表現かもしれませんが、その行為に美さがあると思います。
医療を受ける権利医療機関の選択の権利が患者にはあります。同時に、医療者及び医療機関の誘導、勧誘行為は禁止されていると記憶しています。それは、その患者の持つ自由と権利を阻害し奪う事になりかねないからです。それだけ、医療はの存在という事なのでしょう。アメリカの弁護士の名刺が、セカンドオピニオン外来、サプリ外来でない事を祈ります。
あくまでも、歯科医は歯科医らしく、歯医者は歯医者らしくと、公を意識するたびに思いますが、如何でしょうか?
本当に、難しいですね。
チャンチャン

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