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こすが歯科医院 ブログ

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歯科心身医学の世界 始めに(その4) ~空気病

さて、“らしさ”の話を続けたく思います。

私の場合、顎口腔系と身体を意識せざるを得ない場合は、歯科医らしく口腔内の歯や、歯周組織や、欠損部を意識する場合は歯医者らしく、それが、大事なのかなって、年の暮から、明けるまでの時間、ふと考えるようになりました。

顎口腔系と身体を意識する歯医者さんが増えてきた事はとても素敵な事と信じたく思っています。
歯だって身体の一部ですからね…

でも、意識する事と、知識を持って、把握して対峙する事とは、大きな違いがある気がしてなりません。そこに接点すら無いものと私自身は、今までの経験をして思う事があります。どん臭い感性だから故、空気を読めていない事になりそうですが…

でも、事実に空気は存在しないと思います。場の雰囲気を壊さないというマナーの範疇以外、空気と言う言葉は存在しないはずですが、いつから、この国の至る所に、空気と言う見えない縛りが誕生したようです。王様の耳はロバの耳の話みたいで、不思議でなりません。メディアが喜んで使ったKYあたりから、オピニオンな方々にも伝染し、空気作りに積極的みたいで、不安と言う空気をあおってそこまで商売したいのか、と、うがった見方を覚える始末です。

独り言です。
公のサイトにおいて、理解度に依存する情報集作業において、どこまで置き去りにされている病態の事を意識されているのだろうと、一人疑問を感じる事があります。そもそも、情報収集者は、仮にライセンスがあろうとなかろうと、この責任ある収集作業を行う以上、この掲示をする意味をどこまで捉えているのだろうと思う時もあります。少なくとも、病態把握は、公である以上されるか、明確にこれ以外は範疇外と書き記す方が、情報の区切りとしては素敵な様な気がするのですが…どうなのでしょうね?

それぞれの診療所が顎口腔系と身体の事(私は、他の項目の表現には口をはさむ意思はありません)を訴える行為を否定する立場のものではありません。でも、その世界が、今の時点で色々と様々な問題をはらんでいる以上、多面的に情報を発信されるか、論理的に情報を発信されるかが、実はあるべき姿ではないかと個人としては思っております。社会的認知性においても、市民レベルにおいても、業界内であれ、混とんとしている状況下では、発信者も相当な労力を惜しまない事が要求される気がしてなりません。発信と言う道を選択するのならば…

あくまでも、独り言です。

ま、準備する事、勉強する事、考える事、多分、結構大変です。でも、生活される皆さんも同じだと私は、思います。そんなもんでしょう。

関係無い話ですが、例えば、というものは人と人の間にしか存在しないのかなって思うのです。ところが、は、きっと森羅万象にある素敵な存在かなって思うのです。その思いが、感謝につながり、社会への関わりを失わない勇気をくれるのかなって思うのです。だから、ヒトは、頑張りたい時に頑張り、疲れたら休むのだと思います。

私の仕事でみた場合、この愛の提供の場面の一つには、身体の不調が、社会との関わりを失う際まで、疾患がその人を立たせてしまった時かもしれません。
ここでは、触れませんがいつか、気が向いた時また何かを残したく思います。

キリスト系の国家が医療は愛から始まるという言葉を大事にするのも、実は、ここにあるのかもしれません。日本では医は仁術と言う表現が該当するのでしょう。

但し、算術では無いという言葉はありますが、何時しか空気は、仁術と言う言葉は、安く治療する事と意味を変節させてしまった事に、悲しさがあると現場に立つ際、私は思う事があります。この変節が、時に人間関係をややこしくさせるから困ったものと、寂しく微笑む時もあります。

医者は儲け過ぎー!医者の横暴!と、全てを一括りに、面白おかしく空気を演出したせいかもしれません。まじめに現場に立つ者よりも、井戸端会議ネタをワイドショウ的に頑張った成果だと、時々思います。メディアの方々には、ご自身たちが作り出した空気を一個一個検証されていく勇気と言う空気を取り戻してほしく思います。もし空気と言う言葉を使用されるならば、勇気の方が素敵だと思います。

事業仕訳をセンセーショナルに取り上げるのではなく、本来、ご自身達が先に行うべき事を、やらなかった理由を、一市民の私は知りたく思う時があります。
なんで、検証や社会の木鐸という役割意識はどこへ旅をしているのだろうと、不思議に思う事があります。

この責任は…という言葉を社会正義の名の下に言われている以上、ちょっと、知りたい、タブーでした。苛めないでくださいね。

だから、途中より私は、医療は愛と言う言葉で理解する事にしました。愛という言葉は、ロマンなもの、神聖、神秘なものと、まだ、空気病に汚染されていないようですので…

文字と言う媒体で情報を商業ベースに乗せられている方々へ

日本語のideogram, phonogramと特徴的構成を上手に利用されて、理解の促進よりも、雰囲気で理解したような状況を作り出す行為は、一端止められてはいかがでしょうか?
批評、批判、批難という構成ベースでは無く、常に根拠ある代案や考え方を提示される運動の方が、素敵と存じ上げます。3つの批のうち、2つはきっとあるべきと思います。そして、一つは代案や、考え方を入れられる方がその理解は私のような、どん臭い者にはその理解がより進むように思います。
時に、情報ソースに対する透明性、文章を書かれた方々の責任ある名前の提示をされてみたら如何でしょうか?緊張感を保て欲しく思います。
今の所、テレビニュースはワイドショウ的な意識を失うと厄介と思うようにしております。新聞は、気が向いた際購入するか、喫茶店で読む暇つぶしと言う意識で読む物と自身の理解を変えるようにしました。
でないと、醸し出される空気に自分も影響を受けそうで、見失いそうで、心まで病になりそうで、気を付けないといけない、身構えて読まないといけないという存在に、私の意識の中では変わりつつあります。
あまりに空気を作る行為に、文字と言う媒体で情報を商業ベースに乗せられている方々は無頓着な気がしてなりません。空気と言う言葉は、世相とか、世論と言う言葉に置き換える方が正しいのだと、実は途中から、思うようになっています。
どうせ駄目だというあきらめの世論、未来に希望が無いという世相を、空気と言う言葉で代用している気がしてなりません。この方が、現実から一端距離をおけるわけですので、聞こえは良い気がしてなりません。
私は、あまり好きでないようです。
現実と向き合う事が医療の本質と思っておりますので…

今年はこの覚悟で行こう。ここが、安心と言うセーフティーネットの見地では足らない。ここが、無駄。如何にスピーディーに準備が出来るか、足を引っ張る検証だけに熱心では無く(この作業を否定するものでもありません)、安心の為、ここまで国は動いている、とか、まだ、発掘していないオピニオンリーダーから新しい考え方を紹介していただくとか…

この規制が、無駄とか。この規制が無くなれば、新しい商売が生まれ、雇用が生まれるとか。これ以上安売りにさせない為、この産業には逆に規制をかけるべきとか。デフレ対策だけではなく、デフレ亢進をさせない為には、わが新聞はこう思うとか、そんな文字を読んでみたく思います。

公務員叩きをだけを、ブームにするのではなく、官と民の協力の新しい形の検証とか、行政と立法のスムーズな関係作りの一意見とか、結構、やろうと思えば、面白い世界が見える気がしてならんのですが、どうなのでしょうか?
新聞で許されない表現なら、週刊誌媒体でもいいと思うのです。文字が、元気を失わせたなら、今度は、文字から元気を取り戻す、言い方を変えれば、勇気を思い出す作業を始めても良いのではないでしょうか?
政治家のヒト特性の問題だけ(この作業を否定するわけではありません)に熱心に、それと外交をぶれながら絡めるより、すかっと、一本道で、指し示す難しさに挑戦されている方が、いい空気も生まれてくるような気もするのですが…

現実を直視できないほど、この国の市民は弱くないと思います。

かしこ

素人文筆者からの疑問事です。 それ以外の方は、お読みにならなくて結構です。

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