■2013/11/22 何かめげそうの、結論だと思う。(多分?)
多分、噛み合わせの治療はとても大変なものだと臨床の現場にいると思います。
多分、慢性疼痛絡みの治療は、とても大変な物と臨床の現場に立つと思います。
ま、これはあたしの視点で書き記しているので、適当に流していただければ。
唯、相当に医院運営が煮詰まっているような気もしています。個人経営ですから、独立性と言う意味では常に立ち続けなければならない物と認識しています。
でも、独立性を保つには、患者とコミュニケーションが常に無ければ、保てない物と個人のあたしは、理解しています。
特に、顎位がおかしくなってしまった方に関しては、勿論の事、コミュニケーションが相当に要求されます。
オーラルリハビリテーションと言う言葉があります。
壊れてしまった物が、何なのか?歯だけが壊れるのか?当然、そんな現象もあるでしょう。
歯は何とか無事でも、歯周組織がおかしくなっている場合もあります。こんな現象もあります。
で、合わせて歯を失っている部分の回復、方法論としては入れ歯とか、インプラントかになるのでしょうか?
で、これらの共通点は、唯一つ。器質即ち物が壊れている状態と言えば良いでしょうか?
では、他の現象はないのでしょうか?いえ、現症はないのでしょうか?
例えば、舌があっちこっちにフラフラ、不安定、とか→こんな表現にします。
例えば、顎がガチャガチャ、不安定→こんな表現にします。
で、こんな現象に巻き込まれて、筋肉の活動がおかしくなると…
筋の廃用性委縮なら、れっきとした病気君で、何らかの名前が付いて。客観評価、即ち、検査所見で姿を現す病気もあるでしょう。
では、筋肉が緊張して、活動しまくって、肉体には疲れがたまって…こういう現症は、病名は与えられるのですが、客観評価、即ち、検査所見が中々、出てこない。これらにも病名が付いていますが、さてさて、治療になるとさてはて、問題が多いようです。
落語風に話せば、原因療法、対処療法、根治療法と、色々とありますが、さて、いざ、病気になってしまえばどうしましょうか?えっ?ここから選ぶとなれば、誰だって、根治療法を選ぶのが自然。それが自然かもしれません。原因療法のアプローチを患者になれば気も弱くなる分、選びたくなるというのが人間の性と言う物。表面的な症状の消失、緩和となれば、あまり望ましい物じゃない!って、言葉の意味をしれば変わるのが、人間の身勝手さって言う奴でしょう。でも、あたしは自然と思う立ち位置に所属しています。
歯医者さんに行けば、器質の病気なら、よっしゃ、ここを治して新しい歯の形態を与えれば、答えは単純。噛める歯が誕生するという訳、というお話の筈。だから、ネットをサーフィンすれば、物語は単純になります。インプラントを入れれば、噛めて、歯並びを治せば、噛める事が決定。でも、この作業は物理的に手を加えただけの作業と言う評価になる可能性もあります。
オーラルリハビリテ—ションと言う言葉があります。
人体というのは、たとえひとつの疾患を対症療法で物理的に治療・抑制したとしても、根本原因を放置したままでは、他の臓器などに次から次へと他の疾患が現れてくる事があることは、歯科といえ指摘・報告がされています。
風邪と違い自然治癒が効かないのが、もしかしたらオーラルリハビリテーションの概念。じゃあ、何を持ってオーラルリハビリテーションと言うの?これが、曲者の内容。
あたしらの仕事の側面が、大工作業と言う物理的側面がある限り、物理的な作業は常に要求されるのは自明。でも、医療と言う限り、その先が合わせて用意されているのでしょうかね?
多分、あたしはこれを言いたいのかな?
で、報告。
暫くは新たな患者を受け入れる事は、御休みしようと決めました。開業して5回目の経験です。個人事業ですから経営的には、これは相当に恐い事です。でも、クリニックの疾患の対峙と言う側面を生産性と捉えると、生産性の落ち込みは受け入れがたいと覚悟をした事。独立性を保つ上で、コミュニケーションをしっかりと取りたいと、立ち位置を改めて確認した事。
今は、例えばもうすぐ終わりが見えている元・線維筋痛症の患者のゴールをしっかりと守りたいとか。例えば、ようやく、顎位と舌と、歯の位置関係を掴みかけ、痛みがようやく解放傾向になり始めた患者をしっかりとリードしたいとか、舌の位置関係について自覚を持ち始めた患者を守りたいとか、そういう医療人としての欲求に従う事としました。
あたしの院長のはしくれ。医院は、疾患と対峙する所に基本があり、全ての患者を受け入れる余力は、今のあたしの所は今の所、無いようです。そんな事を決断しました。
そんなご報告です。
経営者としては、とても不安な決断ですが、ま、ケセラセラと言う感覚で、行ってみようという感じかな。この期間は、とりあえず今年いっぱい、といっても僅か1ヶ月半ぐらいですが、場合によってはもう暫くかも。(その時は、また報告します。)
もし、読み物として読んで下さる方がいらっしゃるならとても感謝します。書き物は、とりあえず書いていこうと思っていますので、イイネ“って感じであれば、時々、目を通して頂ければこの上なく、幸せです。
おしまい。