■2014/01/20 噛み合わせのお話のおしまい編
入れた補綴物がありました。年末、腫れて救急に行って、根っこの治療になりました。患者談。
神経の処置はしていません。当院では。で、正月が明けて来院されました。
腫れ(感)は引かず、症状は引かないと訴えられます。膿が溜まったのが原因と言われました。患者談。
主たる原因は何かを考えます。1次の理由とでも言えば良いのでしょうか?
食いしばりをして歯が接触し続けます。寝ている時が一番、感じます。
顎も痛い気がします。
乳突筋の張りを感じ、ま、緩めます。いわゆる筋の緊張をほぐすと言えば良いのでしょうか?
腫れ(感)は引きます。痛みも消えます。
はい。そういう事もあるのです。筋のバランスと言う表現で何かを暗示させようと試みた文章があったと思います。そういう世界もあるという事で。
主体は、患者の言葉である時もあります。それを解析?分析?する事が大事だったりする場合もあります。はい。
対象は痛みの理由だったりする場合もあります。はい。
なんでも噛み合わせにつなげるのは、どうなのだろうという立場を取っています。主体と対象の関係が、明示されない限りどうなのだろうという立場を取っています。
だから、考える事や、共有する事から避けては行けないのだろうと考えています。はい。
そんな観点での生き方を選ぶと、アジアが世界がと言う言葉には、2つの意味がある事を知ります
一つは 日本人である事が嫌になる事を主体に、プロパガンダな価値を対象に受け入れさせる為の常套句。本当?
国語力ないのです。アホなんで。
一つは、広く普遍な地図上の地球サイズの世界。あたしは、こちらが当たり前。
噛み合わせと言う言葉が広まる事はとても大事だと思います。
でも、噛み合わせの定義も無く、独り歩きする事もどうなのかなって、思う時もあります。
だから、噛み合わせに問題があるという患者が持つ意識と、求める噛み合わせと言うまだ見ぬあるべき姿の理想郷とは、一線を引いて考えた方が良い時もあるのかもしれません。
この世には色々な主体と、対象があるはずです。
でも、主体が曖昧で、対象も曖昧で、普遍にもなりえない理想が描かれている時もあるようです。
あたしは、(歯科)医療と言う世界における噛み合わせと言う怖さと、奥深さが
科学になるまで、慎重に考えて欲しく思う立場にいます。
そして、口に携わる歯科医は、常に噛み合わせという魔物と対峙しているという事を沿って欲しく思います。
噛み合わせにまつわる話は、結構本当だと思います。ですが、本質論が見えない現状で、むやみやたらに噛み合わせ治療に期待するのは…
難しいですね。
国語力が無いので、言葉を考えておきたく思います。
人間の身体は素晴らしい。そして、その前でいつもたじろぐ。
噛み合わせを安定させる事に成功しつつある患者。眠剤半分以下まで。半年たたず。イイネ。各種疼痛コントロール系薬、減る。今日の治療でした。
鞭打ちの患者。とりあえず痛みは収める。しかし、予断は許さない。対処療法で済むか、原因療法になるか…1回目の治療。2・3カ月が全てと判断。
臨床はいつも成功するとは限らない。
医療を行うのも人。これが、全て。
苦戦している患者だっている。
だから、忘れてはいけない。小心者でちょうどいい。あたしは、アホだから。それぐらいで良いと思っている。だから、考える事を忘れてはいけない。アホでない様に、考え続けなければいけない。じゃないと、すぐにアホに戻ってしまう。
人間の身体は素晴らしい。そして、その前でいつもたじろぐ。
読んで頂いた方がいらしたら、感謝します。ありがとう。読んだ方も、色々と考えましょう。
おしまい。