■2014/02/17 弥法と精神世界の関係?そんな大それた物でも…2
弥法と言う現象が生れるとした時、一つは物質性を根拠に出来ると触れました。一つは、精神性の世界に何かがあると触れました。
唯、精神性の世界は相当に厄介です。
例えば、患者中心の哲学。患者主体という考えに置き換わっている側面もある気がします。これが、患者さまと言う語源のベースにあるとあたし個人は思っています。
多分、患者中心と言う考えは、医療享受者と言う捉え方と流れが成立していく物と考えます。
一方、患者主体と言う考え方からは、患者さまと言う捉え方と共に、資本主義的表現なら、消費者という言い方が成立するのではないかと思います。多分、美容と言う世界でお客様と言う表現を使うのは、ここにあるのだと思います。その事実に、多分感動したのでしょう。地獄の沙汰も金次第の生き方の方が、あたし的には格好が良い分、異質な感覚を未だ覚えてしまいます。でも、こちらの方向に進むのでしょうかね。
唯、心の刺を取る・コンプレックスを取る?と言う価値観も、若返りと言う拘りも一切、否定する立場ではありません。想像出来る内容でも、身近でも無い世界故に、分からないと言うのがあたしの立ち位置です。同時に、機能性と言う見地では、肉体的変化はないのだろうかと言う野次馬レベルで興味を持っている事は、報告しておきます。どうぞ、了解を。
患者主体であれば、歯科治療の一つの基本コンセプトの、ブロック単位と言う概念は隅に追いやられ、結果、弥法になる可能性もあるでしょう。その背景や動機は割愛していますので、一方的表現になるきらいは否めませんが…
まず、大事な事は、あたしら歯科医医師の法的守備範囲という世界の整理だと思います。
歯科医療は、咬合構築に関与する行為(補綴、充填、矯正)、歯牙、顎骨・口腔粘膜・舌・口唇・唾液腺・咀嚼筋など下顔面に発生する疾患の治療。次に、全身疾患のうち口腔または下顔面に症状を現す疾患の機能回復訓練。最後に、これら複合因子(特に咬合因子)由来で全身に波及している事への解決。即ち1次因子に歯科が関わる場合、全身性への関与、こんな所になるのでしょうか?
そして、この中に医業と言う糧を手に入れていると言うのが、あたしら歯科医と従業員の生き方になります。
最後の方は、多分、はやり言葉で言いかえると、噛み合わせをコントロールして全身へ波及効果を狙うと言う表現になるのでしょうか?(表現は本当に難しい所です。)
そう考えると、美容歯科なる造語は、どこに当てはまるのだろうと妙に勘繰りたくなります。(あたしが勝手に決め付けているのかもしれませんが、造語と言う位置付けではなく、医学用語として学会等が尊重しているのならば、私の勉強不足であり、心より恐縮します。そして、反省したく思います。)
話が少し飛びましたので、補足します。生きる上では、常に社会との関わり合いを考える必要性が出てくると思います。それは、社会との関わり合いを無視して、自らが信じる価値観に押し込むようなプロパガンダ的操作も、ご自身の意見なのか、社是なのか動機は別に、扇動行為も認められるものではないと考えます。そして、社会の関わりを知るには、時間的関わり(歴史)・環境的関わり・制度的関わり等から判断していくのかなって思うのです。どうなのでしょう?
おそらく利益相反という考えを織り交ぜると、あたし自身も何を書きたいのか見えてくるのかもしれませんね。
言葉の定義から。こいつが無いと、どうにも調子が出ません。国語力が無い分、容赦を。
「利益相反」とはある人の持っている2つの異なる役割における利益がお互いに相反している状況のこと。責任ある地位に就いている者の個人的な利益と当該責任との間に生じる衝突。そんな表現になるのでしょうか?即ち、公正な判断と適正な判断が損なわれる可能性が常にある訳で、その結果・あるいは、予想として第3者から懸念が表明される事態に陥る。そんな理解が大事なのではと思います。
物事を悩む時、資本主義の本質を鑑みると良いのかなって思うようにしています。同時に、生産性という基準が適切ではないかと考えています。但し、これを医療行為に当てはめようとすると、結構、厄介ですがね。
厄介ついでに、考えがまとまりきらないので一端おしまいです。
おしまい。