■2014/02/24 ジャマな発想
“医療と広告?”の関係って、七面倒くさいと思う時があります。これって、真剣勝負に、水差す物の存在ぽい奴。
自己実現、自己決定における主体と主体性と言う言葉遊びが前回までのお話。そうでしたっけ?
ところが、もう一方で、ごまかしと言うのでしょうか?fakeとでも言えば良いのでしょうか?そんな世界までも含め、あたかも過大?というリアリティ-までをも若した限りなく広告っぽい世界観もネット内といえど、存在するようです。
人体は神が作りし気高い存在と文学的表現で礼さんする事も、精巧で複合な組織と科学性に忠実且つ端的に述べる事は許されるかもしれません。
例えば、症例の写真をがっつり載せられて、より患者にイメージがしやすい環境を作ろうとする工夫。
で、実際どうか知りませんが、美容の世界では、どうやら規制が入るようですね。あたしらの業界は、どうなのでしょう?
元々患者さまと言う呼び方に違和感を覚えていた所に、“えっ?”と、驚愕な事実を知ります。この業界の一部の方々におかれては、そんな所もかっ飛ばしてお客様って、表現まで用いるようです。あたしとしては、相当な衝撃と、感動した所が、一部の方々の表現だと思いますが、ありました。
多分、歯科で言うならば審美と言うジャンルがこの世界と対比されるべき物なのかなって考えた事があります。と、同時に違和感も覚えます。どこが?と言われると、整理がつかなかったのですが、多分、こんな感じでしょうか?
多分、審美の世界にも形成外科的感覚と言えば良いのでしょうか?そんな世界観が背景にある審美。
次に、多分、美容と言う世界観と結構近い感覚の審美の世界と言うのでしょうか?
あたし個人は前者の方が、相当に受け入れやすい感覚でした。
ま、(器質)障害の治療が、大工作業が基本の歯科治療と心得ています。とすれば、本人及び、他人の不快感を減少せしめる事を目的とするという思想は受け入れやすい物でした。ですが、感覚的には相当な拒絶感が、実はいまだあります。
要求される技術水準は、正直、読まれている方には誤解を与えるかもしれませんが、保険で行うより、相当に難しいと良識を持ちます。
唯、大工作業故に、技工士という物作りがそれなりに上手いパートナーを勝ち得ると、そこまでの技術性が無くても、実は、審美的にはそれなりの雰囲気が出る事も、また、頭痛い所だったりします。
見た目の再現性と言う意味では、材料学が進み、技工士という広範に作り手のすそ野が広がった現在、結構、差異は素人目には分かりにくくなって来ているのかもしれません。えげつない言い方が許されるならば、見た目という雰囲気では大差などあり得ないのかもしれません。
歯科医の少なかったそれなりの時代、何でも治せて(?)何でもこなせないと行けなかった時代の名残なのでしょうか?それとも、日本人が国民性として器用な証拠なのでしょうか?それなりの物が出来てしまうのです。
ところで、70年代、一時電動歯ブラシが海外から国内に入りました。流行りかけて、廃れました。
理由?
簡単。
海外性のコンセプトを読まず、機能の持つ意味を理解せず。こんな性能を日本のメーカーは作った訳です。
普段使っている歯ブラシを、唯、受け入れ口に差し込んで、歯ブラシが無造作に揺れる。手で磨く方が、はるかに効率よく汚れが落ちる事を、ユーザーにあっさり見抜かれ、信頼を失います。
今は音波とか、超音波とかそういった機能が付く事で、手動磨きよりはるかに優位になるよう工夫されています。信頼の復旧に30年以上かけ、ようやく普及していく訳です。
ね、日本人は、結構、器用でしょ?
んだ、んだと、思ったご自身。例えば、ヨーロッパではタイ製の白い歯も輸出されているのよ。理由。技工料金が安いから。
と、考えると、資本主義って凄いと言う方が、正しい気がします。
話を戻して、白い歯って、唯、見た目の再現性が勝負なの?じゃあ、口元の美しさのコンプレックスを用いて、白い歯にするのと、結果、何ら大差ないじゃない?って、言う話になりませんか?
形成外科的感覚の方が受け入れやすいとあたしが思った(過去形)理由と、限界のお話でした。
根拠として、いまいちだから…が、理由なのでしょうね。
あ、でも、この国の物事を決める人も、何かを伝える人も、根拠ってあまり興味が無い様だからちょうど良いのかもしれませんね。
河野談話に根拠なし。でも、受け入れないと行けない。(ほんとかよ)
何か、変!と、書くのはいつものパターン。
だから…
歴史認識は捏造から、始まるのです。
いいですね~。
おしまい。