■2014/03/08 考えを纏めるって、相当に難しいって本当に思う
考えを纏めるって、特に経験が脆弱な表現は、本当に難しいと思う。
勝手に第1項の締め切りと張り切った物の、ダメだ。センス無いって、ほとほと、困惑中。
正中性のコントロールに、水平性のコントロールに悪さの根源と言うか…
多分、勝手ながら、見出して来ているのかなって、反省する事があります。反省と言う表現が妥当かどうか、正直分かりませんが、そんな感覚を持っています。
代理補償という活動性の問題が、身体に反応すると、頚部固有感覚を介し、身体に何がしかの影響を与えるのだろうとあたしは、考えています。
その本質根源というか、一次因子を、ズーッと臨床の現場を介し、反省してきたように思うのです。
しかし、これを、簡潔にまとめようとすると、本当に難しい。
公にして、評価を受ける。
多分、これが、必要なのだろうと思うのです。
少なくとも、根拠は左巻きに、おかしいのではう言う意見は右傾化と、切り刻まれる思想の自由の否定する側に立ちたくない。し、
抑止力としての防衛を望むのは、憲法の殺人者と意味不明な左巻き流の論理展開と、併せて安全を求める権利を右傾化とあからさまに切り捨てれる暴力者側に立ちたくない。し、
国旗国歌に愛着を持てば、右傾化と差別する左巻きの本当の差別主義な人々と同列になりたくない。し、
日本が好きと思うと、左巻きに弱者はどうする、歴史解釈はどうすると訳の分からない捏造と論理のすり替えにつきあいたくない。し、
挙げくには右傾化は、反省しない証拠と左巻きに威圧されたくない気分だし。
ま、公に評価されて、ついでに検証してみたいと、仲間が増えるかもって願いたい文章って、今のあたしには相当に難しい、そんな感じです。
文章ではなく、論文ですね。
大した人間でないから、難しいと思います。
真実かどうか、それを評価されたくあたしは、考えたいのかな?
スンません。
左巻きのお優しい方々と違い、人間だから考える事を捨てたくないようです。
おしまい。
考える葦である事を忘れたくないですね。
考えさせない事を良しとされたい左巻きの方々とは、やはり、一線を帰したいから、考えていきたく思うのです。