■2014/03/28 咬合は…噛み合わせは…
咬合は、噛み合わせは、あたし個人は深すぎるといつも思っています。いえ、とみに、いえ日増しに思う今日この頃というった所でしょうか?
咬合という属性が、骨格と言う物に起因する物なのか。
咬合と言う属性が、歯牙の噛み合う状況の集合性に属すのか。
こんな言い方が出来るのでしょうかね?
前者の場合、全身性との関わりが示唆する事が許可され、後者の場合、身体と歯は関係ないと言う事が許可されるのかと思います。
ところで、その場合、前者は反射系、筋系の存在を当然のように肯定される訳ですが、後者の場合、当然ながら存在を肯定する事はダブルスタンダードになる気がしてなりません。
前者の場合、姿勢を変えると歯の当たる位置が変わると感じる事は、顎位が適応している事を意味しますが、後者の場合、姿勢を変えると歯の当たる位置が変わる事事態、ありえてはいけない物か、未知との遭遇とでも言えば良いのでしょうか?
例えば、限界運動と、歯医者さんでギリギリ顎を動かして下さいと渡される調整法があると思います。
例えば、身体の身体運動の中の表現と捉えた場合、過剰接触と言う現象への対応と考える事も出来ると思います。
例えば、寝ている際、顎がダラーンと移動する可能性がある場合、多分、変なあたりがない方がいい筈。これについて今回はこんな表現で行きたく思います。
その目的意識で行う事と、唯、ノウハウとして行われているとしたら、その差は広がる事は無いのだろうか?
そんな事をふと思います。
ま、こんな所で今回はおしまい。