■2014/04/12 小善は大悪に似たり
小善は大悪に似たり。大善は非情に似たり。
かつて、お世話になった人に叱咤された際に教わった言葉です。
あるきっかけから大事にしている個人の言葉であります。
思い出した気かっけは、左巻きの方の考え方から。
お遍路の道に、ハングルの文字での案内を勝手に貼ってみました。剥がす行為を、おもてなしの心が無く、日本人として寂しい。そんな内容だった気がします。
思わず呟いた言葉がこいつだったりします。同時に笑っちゃいましたが…
許可なく貼る事、これが自由だと言うなら、公共のルールはどうなのだろう?で、ローマ字表記はあるだろうに、何故にそこまで帰依したアジアに拘らないと行けないのだろう?
凄く不思議。
身勝手な行動を尊重するって、どうして左巻きの方々はアホなぐらいお優しいのだろうと、本気で思っているとしたら、大丈夫か?幾らなんでも…そんな事を思っても見ます。
日本人として恥ずかしいとは、何か・・・変!廉恥の心を向こうに、破廉恥な輩になり下がったのかな…て、思ってしまいました。
分かんないけど…どうしちゃったのだろう?世をチェックをする大事な仕事なのに、左巻きと言うだけで、何が何でも、迎合させたいのだろうか?って、うがってしまいます。
で、返してあたしの仕事。
至って日本人的発想を持つ始末だから、もめる事は当然嫌です。ライセンスの意味を知れば知るほど、もめるのは嫌です。
良心に従い行動出来ればどれだけ…などと、思う事が多いです。
ま、内面の話はここまで。
嚥下障害と骨格的な問題について話します。一人の歯科医の意見ですから、その先は患者が考えれば良い。そう思っています。
ですが、相互間で安易な心構えでの治療行為は控えたい旨はお伝えします。
医療だから。
また、一瞬の間でしかありませんでしたが、別の事をします。この表現は、相当に問題ですが、合間に瞬間判断を求められたので、その要望通り瞬間判断をします。
歯を並べて、何故か、奥の歯が問題と言われ治療して、どうにも体調がすぐれない。
自覚し始めたのは、歯の治療に入ってからです。
実際、合間に見る程度という確認だったので、いわゆるセカンドオピニオン的側面で、原因を考えます。
咬合の位置関係が壊れている…
仕方ないのでシリコンを利用して…
涙ぐんでいました…
やっちゃった?と妙に自信のある焦りで、間を持てあましていたら、何秒かの間の後、楽です。そんな噛みしめた言葉を言われます。噛む位置が分かります。何故でしょうか?
ま、そんな経験を持つ日があっても良いとたまには、思います。
だって、まだ痛みを取れない患者、いるのだし。そう臨床は簡単じゃない。そう思っています。
だから、小善と言う精神だけは打ち消す事を常に考えるようになったのでしょうか?
大善と非情を常に横に置く事が要求されるのだろうと思うようになっています。
左巻きも、アジアからの帰依を卒業されれば、リベラルであられるのに…と思うけど、慰安婦と言う捏造か真実か存じ上げませんが、どうやら真実ではなさそうだと言う事実関係が世に出回る事に冷や冷やしながら、世をチェックするとなると、廉恥の精神ではいられないのかもしれませんね。
分かりませんが。
あたしが分かる事は、臨床は難しいと言う事だけです。
おしまい。