■2014/05/15 妄想協奏曲と、閉塞感?
一人歯科と、称しながら日々、臨床で生きている時間が多いのですが、機会あり、人材募集の方と話す機会を持ちます。
一人歯科をなんとかしたくて、話を聞いてみたのですが…
そこで、妙に合点が言ったのが、閉塞感と言うキーワード。
いえ、閉塞感という感覚を、あたしが持っていないと言う訳でもないのです。ま、何か変!って、思う時って振り返ると、感覚的に言えば、”どうにもならん”という言葉を覚える時でしょうか?
日本の文化が編み出した”仕方ない”という言葉に変換できない感覚を覚える時って、無性に嫌!って、感じる時なのでしょうか?
で、新人の歯科医の集団が(ご了解頂きたい事は、全員でも無い筈ですし、彼ら業者が感じる感覚のフィルターを、あたしが手前勝手に解釈した言葉でしかないのですが)、一番に感じるベースは、閉塞感と言うエネルギーでした。
世代間の意識格差と言う捉え方もあるかもしれません。
あたしらは、技術は盗む物という感覚を覚えさせられていたように思います。
今は、研修会があるのか、行けるのか?勉強会があるのか?先に、与えられる事を望む例が多い。そんな話に触れます。
あたしらの頃は、新人時代なんて、まともに出来ないのだから、そんなもんに行った所で、草々身に付くものじゃないよ。行くなら、もっと基礎的な講習会に行きなさい。
そんな事を口酸っぱく聞かされたように思います。
で、意見を求めたり自分で判断して、休みを利用して言行ったように記憶しています。
で、いつからか基礎講習会に中々人が集まらない。で、そういう講座が無くなって来ていると言う話を聞きます。
ある学会では、技術のレベル低下に頭を抱え、別途、支援講座を設けて、まずは理解出来るように取りはからう努力をしていると、笑えない話を聞きます。当時は、深く意味を考えなかったのですが、どうやら、何かが起きているようだ、何が?その根底のエネルギーがあるのだろうと、妙に不思議に思っていたのです。
これも、”仕方ない”と、結びつける事には思えなかったのです。この言葉が言える時って、ギリギリ次につながるエネルギーをお持ちとか、ギリギリ夢が守られているか・・・
そんな前に進む物が、どこかにある時、言えるのだろうなって思うのです。
では、閉塞感しかない場合は?
あまり上手く言えないのですが、その感覚に従うなら小さくまとまる事を是とするのか。多分、臨床では、もっと患者と対峙するのだっていうエネルギーよりも、無難に無難に収めたいと言う結果しか産み出さないように思いますし…
でも、治療には、対処、原因、根治と単純化しても3段階の層があるようです。すると、大工作業を主体とする歯科の場合、無難無難は、対処療法への徹底した方向へ動くような気もしますし…
この資格が第3位の難易度の地位を渡されている限り、果たして無難が許されるのか?そう思う事もあります。
更に言えば、デンタルサイクルの世界観で、何時か紹介できれば良いのかと思うのですが、対処と言う待ちの姿勢の治療なのか、未来の予測をした上で、どう改善を図るのか…究極には2種の方向性の概念も生まれてきているようです。
となると、多分、無難という価値観では許されないと思えるのです。
表現の世界ですので気をつけないと行けないのは、冒険的試みを治療で行うという意味では捉えて欲しくないと思うのです。
医療と言う仕事は、常に医療者側には勇気がいる物です。ここでいう無難とは、その勇気の発揮を放棄するとでも言えば良いのでしょうか?上手く言えませんが…
そうそう、(実際は一部の)アジアに帰依する方々は、侵略をしている行為に、侵略されている側が話し合うべきだと、無難に治め収める事を望む姿もあるようです。冷静に、収める事を侵略者側に要望する無難さもあられるようです。
無難ね…
戦後賠償は終わったけど、戦時中の民事紛争は残っている?だから、払え!無難ね…
非難しない。無難ね…
非難の間違いと思うのですが、無難が適正なのでしょうか?
そうそう、(一部でしかない)世界の性奴隷派遣に帰依する方々は、歴史、領土問題以外を除けば、友好的だ、だから、仲良くしていこうと、無難の薦めをされていたように思います。ありがたい事なのでしょうネ。
援助も歴史だよね…
原爆は神の手だも、歴史だよね…
陛下に土下座させてやる、も、歴史だよね…
対馬はおれたちの物だ!無難ね…
竹島は存在しない。いっそ、あげちゃえば!無難ね…
こんなのばかりが、あれば閉塞感に汚染されないで、済みますでしょうかね?
日本は悪い歴史を持っている。から、彼らが言うように憲法を変える事は、行けない。無難ね…
いつから隷属を選んだのか知りませんが、批判しないだろう?
悪口をばら撒いていますがね。無難ね…
暗黒史を持っているから、彼らが言うように守りを固めてはいけない。無難ね…
挙げくには、侵略しまくっているようですがね。人を粛清と言う名の惨殺しまくっているようですがね。無難ね…
歯科医は余っています。だから、減らさなきゃ。無難ね…
どれだけ余っているか、実際どうなのか、実体調査はお目にかかった事は無いのですが…
じゃあ、歯科医側は、そんな風潮に、あたかも立ち向うべく、多分、未来に目を向けて、”仕方ない”と、ぼやいている集団はいないのでしょうかね…
無難ね…
そんな中で、何もない新人の研修医が、歯科に未来を見出すのでしょうか?
そんな中で、自虐爆弾を連発するアジアに帰依した輩が暗躍する世間を見て、どれだけの”仕方ない”と言う思いが殺され、閉塞感に行きつくのだろうと妙に、納得をしてしまいます。
歯科医以外は分からないので、何も申すべきではないのですが、きついだろうなって、妙に合点を知ります。
きっと、届かないだろうけど、変わらないよ。何とかなるもんよ。一生懸命なら。そんな普遍と、思いたい(あたしはそう信じています)きっと、聞こえない声を、エールとして送りたくなりました。
唯ね、丁稚から始める覚悟と度量はあった方が、実は、手に入れる未来への糧は広がるかもよって、伝えたくなります。ま、言葉の表現ですから、実際は、働くと言う意味での表現は違うのでしょうが…
そう、噛み合わせの話を少しだけ。
歪むと言う概念を、受け入れた方が良いのだろうなって個人のあたしは思うようになっています。
情報のキャッチを噛み合わせを介して、伝達が上手くいかない時に身体に起こる変化。あたしは、歯科の未来の一つの像だと、信じる立場を取っています。
普通の模型でも、100回ではなく、1000回でもなく、万回と、何時間も見ていたら、変形と言うのでしょうか?何かを感じる場合もあるようですね。
見方と言うルールを知れば、誰にでも出来るだろうな…って想像したりします。
さて、どうなのでしょう?
今日は、そんな模型を患者と見ながら、多分、ここが薄くなると、手のしびれ収まるじゃない?収まります。
多分、この歯が、こっちに移動したら、息しやすいんじゃねぇ?
なるほど…、ね。
この歯薄くなれば、膝楽じゃない。楽になります。
ここの歯が高いから、歪みを変にキャッチするのじゃない。
本当だ。
咬合感作という現象も不思議な物です。問題は、何が一時因子で、何に原因があるのか?
そんな世界もあるのだし、全員の歯科医がインプラント、審美、矯正、介護と、未来を、もしかしたら、無難に過ごす為に目指す科目とは限らないかもねって、伝えたい気持ちになりました。
あたしですか?
インプラントは外注ですし、審美は技工士に守られているような状況だし、矯正もかな?
妄想の乱れ太鼓で、閉塞感を持つよりも、今を生きてこそ、そんな心境しかないのかなって思うようにしています。
おしまい。