■2014/05/17 妄想協奏曲と、リアリズム
身体の中心と、例えば、上顎の中心が同じなのか?後者を正中線という。
同じと捉える場合と、違う場合もあると捉える事も出来る。
違うと言う捉え方、即ち正中線と、中心線が違うと捉えた場合、実は、正中線と中心線が一致していると言う捉え方が含まれるのが数学的な考え方らしい。と、、算数の苦手なあたしは理解しています。
ここで厄介なのは、水平性が、正中性と中心性で違う場合がある。そんな所でしょうか?
なんじゃらホイと言う世界ですが、この計測に実は、大きなキーワードがあるようにあたし個人は思っています。
分かりやすくいうなら、外耳道という耳の穴が、全員同じ位置にあるか。そんな所を観察してみると面白いかもしれません。
リアルに、この重心性とでも言えば良いのでしょうか?この変化に適応が出来なくなった時、筋バランスが崩れる、で、次々と身体に何かが襲われていく、そんな事を感じます。
それが、私が感じるリアルな臨床です。
この正中性と、中心性の意味を把握するまでは、とてもとても苦しかったように思い出します。でも、そいつを見出しても、その度合いを把握するには、まだまだ苦戦中のようです。でも、技術の向上にヒントがあると、自分に言い聞かせるしかありません。それが、生きる道と言う物です。
元気になる患者を見ながら、勇気を頂いているような感じです。
歪むと言う言葉を用いる事は、とても安直ですが、でも、この現実を常に頭にしまう以外ないと、臨床現場に立つ際、思う事です。
だって、噛み合わせの情報で、頸が伸びるとでも言えば良いのでしょうか?長くなるとでも言えば良いのでしょうか?沈んだ感覚が変わったと言えば良いのでしょうか?
これが、心身症等の類を渡されていた患者に起きた現象でした。驚きでした。
まだ、ありますが、今回は割愛します。が、そう考える時、噛み合わせとは、人にとって、二足起立を選んだ人類にとってどんな意味があるのだろうと考えるのです。医学用語として、定義づけられるべきだと思うのは、こんな所でしょう。
今日は、こんな出会いがあります。
手がむくむ様になった。
そうですか?
多分、このスピーのコントロールでしょうね。
むくみが消えました。
良かった。
でも、左に向きにくいようです。
こいつは、前歯の位置関係の補正が終わるまでは、勘弁して貰いました。一応、ナンチャッテシリコンで確認はしますが。
動きますよね。
そのようですね。
多分、何とかなりますよ。
手のむくみが取れただけで…
ありがたいお言葉です。
多分、同じ歯科で生きている歯科医にとっては、長く生きられる時代が来た分、対峙する病態状況は変わって来ていると思われる事があるのではないかと想像する時があります。いえ、正確に言えば、患者の口から派生する表現が、20年前よりも変わって来ているのではないかと、思うのです。
これは、分かりません。
でも、学会誌や商業誌を眺めていても、着目している世界が、あたしからすれば、ようやくここに来ましたか。そうです。ここをあたしも、頭を悩ませていたのです。でも、この先もあると思うけど…これは、自分の経験からでしかなく、明確な根拠がある訳ではありません。でも、そんな事を感じます。
この紹介した現症は、実は歯科の治療、あたしらが習った方法論でしか、対峙していないのです。唯一、違うとすれば、診査、診断を深く診るようになっていると言う所でしょうか?
ま、昨日までのつながりだと、新人の先生には、是非とも閉塞感など捉えず、勇気をもつ意欲を捨て去られないで欲しく思うのです。
返して、あたしらの生きている世界。
アジアに帰依した方々は、戦争になると、また熱い情熱を恣意的に、アカく燃えて頂いてくれているようです。ありがたいと思うべきでしょう。でも、教えて欲しいのです。自分たちで考える事、体制を作る事が、戦争になると、妄想を謳歌出来る理由を。
きっと、説明を頂けると信じています。
でも、性奴隷派出のアジアは、赤いアジアに、船の沈没で弱っている所をこれ幸い、赤い漁民にやられたい放題のようです。
初代首相の暗殺者をヒーローとして(これは、あたしは到底受け入れられないものですが)博物館を赤いアジアに作る代わりに、領海侵犯を性奴隷のアジアに行う事を。
この説明をして欲しく思うのです。
博物館では、食べる道を失いますけどね。
ここには赤く恣意的に、すり変える事はして欲しくありません。崇拝する日本悪い教の既得権益がないのならば、自衛をする必要性が出てしまった事を、感情的には積極的であれ、消極的であれ認めないと行けないと思うのです。
なぜなら、リアルだから。
性奴隷派出のアジアは、この日本が不要で1000年恨みの地域ですから、あたしは、関わらないが一番だと思っています。ようは太平洋を挟んで、赤いアジアにすり寄るのか、ヤンキーカムバックと、すり寄るか。蝙蝠を続けるのか、毅然とするのか。それは、かの国が決めることであり、日本悪い教を根底に、かの国の正義を貫かれる限り、無視が一番だと思っています。
このリアルに対して、議論を進めると、戦争になると赤く恣意的に意固地になる。相変わらず閉塞感がお好きなのねと、蔑視と言う感覚が湧きあがるようです。
南シナ海で、赤いアジアが横暴を突出させても、ご機嫌取りにいようと言うアカい恣意的な、あるいは、無視をして居丈高に戦争になると、国民の為の自衛隊と言う意義を忘れて、日本悪い教の下、意固地にむやみやたらに戦争になるという、あまりにリアリズムから離れた空想世界で、アカく、恣意的にあって欲しくないと思うのです。
あたしは、中華料理は食べても、中華という自由も無い世界に所属したくない。
あたしは、三国志その時代時代の歴史は読み物としては好きですが、意思にそぐわないと惨殺が当たり前で、腐敗と汚職が正義の価値観の中には身を置きたくない。
自分の意思で考え、自分の意思で選んだ選挙を通して、期待を込められる民主主義が好きです。
少数意見が尊重されると言う左巻きの上から目線も結構ですが、意固地に少数意見で、守る自由も奪う論説を行われたいならば、少なくとも、帰依されたアカいアジアなのか、所属する日本悪い教かは存じ上げませんが、自らを守る事、集団で守る事を、一途に許さない根拠を教えて頂きたく思うのです。
でも、この意味は、自らが傍観に襲われても自らが窃盗にあっても、受け入れるという事であると思います。隷属を選ぶ事を意味するでしょうから、どうぞ、銀行の暗証番号から全てを公開されてみたら如何ですか?
その生き方をまずは、いわゆる櫂より始めよって言う具合に、始めて見ればどうですか?
銀行口座が分かって、取られても当然です、という、日本悪い教・信者のすがすがしいお顔を是非、拝見したく思うのです。
リアリズムは、今起きている現実とどう対峙するか、そんな事を思います。
あっしは、目の前にある病態を、患者が言う症状を信じることから始めました。
それは,無いと言うのか。受け入れるのか?
それは、ライセンス者に任された判断ごとです。
糸切り歯に患者自身が爪を置かれ、これを置くと肩が軽くなる。これを、外すとこんなに肩が硬くなる。
嘘!
これが、最初のお恥ずかしながら、アッシの言葉。
で、柔らかい。
嘘!
もう一度、呟いた言葉。
でも、どうすればよいか分からない。
こんな所から、リアルに考える事を選ばなければいけなかった、そんな事を、閉塞病に陥れたいアカいアジアか、日本悪い教の方々の活動の様を見る時、恣意的に思い出します。
B52が空母から飛び立つのを見たのです。な~んて、分かりやすい嘘を述べる論客者もいましたね。日本国憲法殺人者という珍言用語集の女王になるのでしょうか?
平和を愛する諸国民が、身近にいなく、アカく侵略を行い続ける行為のどこに、恣意的にせよ、平和を愛す諸国民と言う言葉を信じらるのでしょうか?
平和でいたいから、真剣に平和でい続ける為に、自衛を考える事を、選挙で選ばれた方々が考えると言うのが、そこまでヒステリックになる必要性がある物なのか、どうにも分かん?と言う感じです。
ようは、リアリズムで行動する事が、どうにも調子が悪い隠された既得権益があるのではないかと。そんな事を思います。
昭和の暗黒史というセンセーショナルな言葉よりも、現実に起きている侵略行為の線をどう食い止めるか。自分たちの身は自分たちで守るという、掟に戻らなければ平和を愛さない諸国民には通用しない。そう思うのです。
歯科が身体とつながりがあると、認めざるを得ない現象を知るのは、患者の病態を通してです。
これが、あたしのリアリズムでした。
妄想と言う協奏曲は、替え玉作曲家程度のコントで十分です。あっしは、リアルな現実で、病態を知るしかないと、やはり思います。
閉塞感は、もう結構。
出来る事から、立ち向かうしかない、そう考えます。
それが、閉塞の空気に立ち向かう方法ではないかと。
おしまい。