■2014/06/04 混合診療解禁?
混合診療解禁と、メディアの方々は、センセーショナルに報じられているようですね。
では、どう捉えるべきなのでしょうか?
唯、もしかしたら一つ違うの見方を、あたしは持っているのでしょうか?
混合診療が認められない時点では、悪い平等と、良い平等という現実があるような気がします。そんな感じで、あたし個人は捉えていました。
で、もし、混合診療が解禁すれば、今度は、良い不平等と、悪い不平等について考える必要が出てくるのだろうなって想像します。
上手く言えないのですが。
日本悪い子、日本ダメな子前提に立つ言論者の統一傾向は、常にスタートが平等である事。そうすれば、結果も平等と言う発想に立脚されていると理解をすれば問題ないとこの頃、思うようになっています。大体、ここを抑えて見つめると、その論調が一つの傾向があるように思えてなりません。分かりませんが。
弱者への配慮を考えると、慰安婦=弱者=日本悪い子行動→歴史認識
日本ダメな子=弱者に迷惑をかけた=何をされても、許しを請わなければならない→アジアと仲良くしなきゃ。アジアから孤立しているぞ。
日本悪い子=アジアを無視し始めた→右傾化だぞ
実情に合わない規範を変えよう=憲法論議→日本悪い子=戦争になる→”原発反対!消費税反対!”何で?
ところで、国益とか、世界との関わり合いは?
日本悪い子、ダメな子価値観では、関係ありません。
では、混合診療に関して、どんな論調に発展をさせていくのだろうって思うのです。
日本ダメな子、悪い子論調なら、だから、右傾化、だから原発反対、だから**反対って、多分、混合診療解禁が招く可能性について分析は、まともにできないのだろうな・・・そんな事を想像します。
結論は、明日からアメリカの医療になる。でしょうね?日本の良さはどうする?多分、ここはぼかす筈。だって、日本悪い子、ダメな子ベースでは、この結論へ導くのは難しい筈ですから。むしろ、解禁反対派を、並べて、で、結論と課題は?は、、何も出せないのだろうなって、想像します。
で、想像力は逞しく、だから、軍隊を派遣するのだ!と、悪い子、ダメな子路線を基軸に、うやむやに落ち着くのだろうな・・・
と、個人の勝手な暴走に近い妄想はここまでとして…
でも、明確に良い不平等と悪い不平等と言う点が問題になる気がしてなりません。
主語が変わったと言う気がします。そして、結論が変わった気がします。今までは、医療機関を選ぶ力を患者サイドが持っていたと思います。そして、嫌であれば、患者判断で来ないとしていた。
でも、次は、見方を変えれば患者を医療機関が選ぶ。患者によっては、明確に来院拒否が起きる。
でも、これって、多分、表層でしかない気がします。
医院サイドが発信する事で、得意とする治療の色合いがより明確になっていく。それを、より知る機会を会得するチャンスが来る。と言う所でしょうか?
でも、良い不平等と悪い平等については、考えないと行けない気がしています。
それには、国益と言う点を起点に考えなければ、多分、難しい気がしてなりません。
また、機会があれば。
薬付けで、歯科心身症?もありでしょう。線維筋痛症でも、病名はとりあえずおいといて、今日もそんな方の治療。
薬飲まなくなったし。身体楽になっている様だし・・・
と言う所は、特に良くて。
唯、顎位の変化と、咬合感作をさせない方向に、で、身体の症状を楽にさせる。
スピーをコントロールして、高径をコントロールして、アーチを構成して等々。
結構、咬合治療って大変な顔のような気もしています。
で、置いている意識は、歴史の積み重ねの重みと言う所でしょうか?
先人たちの文献と事実関係を調べて、尊重して…
そしたら、治る行動が始まって…
だから、日本悪い子基軸で、歴史の認識と言う、ごまかし用語は正直好きになれないようです。
条約を結んだ瞬間、恩讐の彼方にの心だと思うのですが、日本悪い子・ダメな子の人々には、恨みの心は事大に大事。恣意的に大事。アホクサ。
国を考える心がなければ、きっと、悪い不平等にミスリードする気がしてなりません。
さて、そう言いながら現場サイドはどうなのでしょう?現場サイドに、良心を求めるだけでは、寂しい気もします。
おしまい。