■2014/07/22 顎位も良いけど、咬合調整って?
咬合調整と言う表現を用いる際、とても難しいと思う事があります。
多分、狭義と広義の意味があるのかと思うようにあたしは、なっています。
あたしが思う狭義と言うのは、。例えば、インレ—でも良いでしょうし、クラウンでも良いかと思います。
この補綴物(ここではこの括りで表現します)を入れる際、その人の口腔内の適応状況に持っていくために行う調整。
こんなのを、強いて分かると狭義と言うのかなって思うのです。
広義は、多分、顎位を意識してコントロールする為に行う場合かと、考えるようにしています。
どうなのでしょう?
では、広義はあたしの中では、顎位までをもと枕詞を置いている以上、語る事は不要でしょうが、狭義の場合、顎位の変化が起きるか起きないか、ここが重要なのかなって考える事があります。
あたしの所では、患者から「使えそうです。)という自然な言葉が出るまで、確認をするようにしています。例えば、「なれるものです」と、適応を期待する手法もあるようです。
どちらが良いか分かりませんが、昔は、不安もありながら”なれる”と言う派でしたが。”なれる派”でいる事が、個人的には苦痛で、自然体に収まる時って、人はどう表現されるのだろう?
あるいは、自然体で無いとその瞬間、患者サイドが受け止めたとすれば、顎位は変わる事は無いのか?
そんな事を考えるようになります。
あたしは、変わると事が十分あると捉えるべき派ですが・・・
”なれるという”のは、適応した結果、起こる現象であって、その結果、早発性か遅発性かは別に時間軸の経過と共に、何らかの現症を招くので無いかと考える派に今は、所属しているようです。
さて、どうなのでしょう。
顎位と拘る時、それと裏腹に、咬合と言うベースがその価値観には期待されるのではないかと考えたりもします。
決して、分けて考える事は出来ないのではないだろうかという立場に自らを置いています。
難しいですね。