■2014/07/21 歯科医は顎位を拘らなくて良いのか?どうか?
顎位が身体の中にあると言う見識から、いわゆる解剖学的に考える手法もあるようです。
臨床医が悩むと言うか、考えると言うか.・・・
ま、実際どうなのでしょうね。
そこまで拘るべきなのが、拘る事が現場として求められるのか?
あるいは、臨床とは一線を帰した世界として、いわゆる、そう、座学の学問として存在すべきなのか?
では、同業者野先生の場合ば、どう考えられるでしょうか?ちょっとだけ、興味があります。
?座学
?拘らなくても良い・拘る理由が分からない
?拘る意味など無意味・不必要
?嫌、何が何でも拘るべき
もう一方で、こんな捉え方もあるようです。
そもそも存在していると言う捉え方。
固有とか、個性とかそんな捉え方が自然なのでしょうか?
この場合、顎位ではなく個性咬合と表現をして、顎位の事を飛ばして個性として存在している形に戻せば良い。
こんな捉え方もあるようです。
では、その”そもそも”が曲者の場合、どうyしましょう。
変な表現を用いたく思います。
顎位は、揃えるものなのか?
あるいは、整えるものなのか?
きっと、前者の捉え方の場合、
顎位を何とか、まっすぐ?に戻そうとするのでしょうか?
きっと、後者の場合、整うように悪さの因子を除外する事を考えるのでしょうか?
あたし個人は、どちらもいるのでは?という考え方。臨床での技術論だけに限定すれば。
で、基本は、仕向けるのではなく、邪魔を除去したらそうなったとか、なるべき様になると言う方が好きと言うか、大事にしている物かもしれません。
イソップ童話でしたっけ?北風と太陽の話みたいな感覚ですかね?洋服を脱がすには、二つとも方法として必要だけど、どっちかと言えば、自然と…の方がいいのかなって思うのです。
すると、顎位って何?に戻るのでしょうか?
しまりが悪い所で、おしまい。