■2014/08/08 立場が
今日は論文の写真を構成を依頼する日だった。
思い出しながら、話を展開してみたく思います。
日記帳に書いてみたく思います。というか、書いていた内容が、全て消えたみたいで…
今日は論文の写真を構成を依頼する日だった。天才的発見をした訳でもなく、基礎論文にあった世界が臨床で活かすとどうなるか。それが、始まりだった。
唯、実際は、臨床でこの現象を解決するには…から、始まり、ようやく基礎論文を見出したにすぎない程度の話です。
こいつのお陰で、個人的には顎位は誘導して治るよう仕向ける物なのか、そうなるよう仕向け、結果、顎位が変わったように、させるかの分岐点を見出したに過ぎないのですが。
まあ、臨床に生きる人間にとっては大事な事かもしれないが、その道と関係ない人間にとってはどうでも良い世界のような気もする。
ま、それも選んだ価値観。どうなるか分からないが、やってみよう。そんな心意気だけは、忘れないでいたいと思う。
ようやく動くのね、と、何時かは、時が来ればと、論文の薦めをする方々には、毎度の返答が変わった際、こんな事を云われた。遅すぎた?行動と言うべきか、でも、自分の中で機が熟すまでは、どうにもならなかった分、シ亜kたない。
遅すぎた行動と言えば、性奴隷の国内の始祖の情報をつかさどる方が、行動を30年以上かけて動き出した模様です。
なんだかな…
と言うのが、感想。
国の名誉もしかり、この国で生きる国民を侮辱した行動に対して、何か違う!と思えたりもします。
研究がおかしいと、本当はあって欲しくなかったけど命を断たれる方もいらしました。検証が始まり、終わり、結果が出て、また、どう頑張るかが、大事な様な気もするのですが、そうはいかなかった。
でも、30年間、性奴隷の子孫と言うレッテル貼りに勤しまれた。
退場と色々な社会正義と言う観点から、色々な方を退場させてきた。
木鐸と言う視点から見ればそうでしょう。
誤りと過ちは違うと思います。
故意にと、捏造と、すり替えは性質が悪すぎると思います。
木鐸と誇りがあるなら、侮辱を与えた国へ、国民へどうけじめをつけられるか・・・
つけられないなら、その瞬間木鐸という肩書は認められない気がする。機関誌にその地位を変えらるしかないと思う。
日本悪い子、ダメな子が下地にある機関誌であるなら、仕方ない。
近づかなければ良いだけだから。
言論の自由は、嘘をつく自由ではないと思う。帰依したアジアの嘘をつく生き方に、影響を受けているなら、せめて私達が性奴隷の商人の子孫です。今、そこで働いている
善意の顔をさらせばいいと思う。
その方が、まだ、苦笑いが出来る。そこまでして、嘘を真実にされたいのだなって。
女性の人権と、テーマのすり替えはどうなのだろう。
何か、嫌。
写真が、構成が…
結構、論文て大変。どうなる事やら、出来るだろうか…
凹みまくりの毎日です。
おしまい