身体の症状は、こんな感じ…
で、消えます。ポジショナーの調整と共に。
ポジショナーだけでは、消えません。
ポジショナーの調整と共に、消えていきます。
3時間の作業でした…
信じるも信じないも、お任せします。
でも、本当だったら、いくつも考えて貰いたく思います。
色々な立場の方が、色々な見解を持つ事を否定したいと思う訳でもありません。
でも、臨床現場に何を求めるかで、歯科と言う仕事に何を求めるかで、見解が変わるという可能性は知っておいて欲しくも思うのです。
歯と全身は繋がってはいない。だから、歯科は身体と切り離して良い。
歯科と全身は繋がっている。だから、歯科は身体とは切り離してはいけない。
おそらく、大きく分ければ二つでしょう。
支援法は、歯科と全身は繋がっているとは認めていません。同時に、繋がっているとも申していません。
申していないから、実は、認めているという感想は、おそらく、個人としては成立しないと思っております。
細かく分析するなら、数学的手法で立証がいるのでしょうが、それは、頭の良い方々にお譲りしたく思います。
でも、全身と繋がっている上での見解は、支援法の中には無いように個人としてはひっそりと思っています。
仮に、繋がっているのならば、きっと、医科と同じ密度で働いた場合、その生計は1/3の範疇内にしか収まらないというデーターを前にして“ふっと”と思います。このデーターが本当かは、どうかご興味がある方はお調べください。
結構、大変な事を意味していないのかなって?
選挙も近付きます。
4パーセント成長なら、増税はいらない。
弱者の為に、消費税はあげない。
まずは、無駄を省くべきだ。
大きな政府より小さな政府。
個人としては、心地よく聞こえて来ます。きっと、それが正しいのでしょう。そう成れれば、解決なのでしょう。でも、現実は、財源が赤字国債で、年々医療費がかさんでいる。
だから、調整弁に、歯科界の占める割合を徹底して抑え込む形で解決を図ってきたのかなって思う時があります。でも、ここに、置き忘れられた事もある気もします。支援法を信じる社会医療費を支払っている方々の事ではないのかなって?
さて、どうでしょう?
仮に、歯科が全身と関係が無いのならば、問題ないかもしれません。
でも、全身と密接につながっている事が、分かれば、どうなるのでしょうね?
全身と歯科は別と、一枚の壁を作って専門家としての意見を言われるお医者様もいらっしゃいます。そうであれば、何ら問題は無いでしょう。
安心した医療をと、心地よく頼もしい言葉を色々な世界から聞きます。
でもこの言葉の指し示す言葉の奥にある意味を時々、疑う自分が出て来るので寂しい限りです。
懐を痛めない事が、安心の医療だというのならば、きっと財源が無い限り、治療費が安い方向に進むべきだと思います。
仮に、そうであるのならば、安全性と確実性を損なわれていく事は、当然の事実として、支援法の位置付けを変えていくべきでしょう。
仮に、安全性と確実性を守る事も優先するならば、自費を肯定する医院も、病院も出て来る事も当たり前に受け止めなければならないでしょう。