別にタイでも、どこでも正直いえば構わなかった。本音を言えば、国内の、仮に遠くても新幹線利用で済む距離なら、その方が良かった。パスポートもいらないし…
ま、どこかの歌詞にあったじゃないですか?
“俺の話を聞け~、5分だけでいい。”
とにかくそんな心境。これが当時。今は、もう納めている感じ。暫くはいいかな?ってな感じだと思う。
“あり得ませんから!”“考えすぎ”
“会えるよう手配したけれど、相手方と喧嘩したからあの話無しにしておくれ。”
“本当は是非会いたかったけれど、でも、急遽都合が悪くなって、また今度にしておくれ。”
“ちょっと、影響力がありすぎるかもしれないから、時期尚早かもね。”
“データーを揃えて、それからはどうだろう。”
話の挿げ替えはこうやって行うのだと、その風景を観光しました。傷つけない知恵なのでしょうね。感謝までは未だに行けないけれど納得です。
ならば、手紙じゃあ!
無視と言う武器がある事を、あたしはすっかりと忘れていました。この武器は、最高の兵器です。
大人のシカトは寂しいものです。寂しいヒトと理解する以外ないのかな?ま、それもありと納得です。
ようやく話せる機会を持つと、
“きっと素晴らしいでしょうが、開業医がそこまで考えないでよろし。”
“データーを持っておいで。持ってきたら、相手したる。”
端から相手しない優しい言い方はこんな雰囲気と覚えます。覚えた以上、納得も感謝の心もどこかに置く事にしました。
ヨッシャアと張り切り、ちょっとしたデーターを作ろうと血液検査をしてみると、何故か、途中でデーターが行方不明。
“無くしちゃったから、約束は無しにしておくれ”
とぼけるとはこういう類の言い方があったか…でも、講師?
爽やかなごまかしの味は、それはそれは酸っぱいものでした。とぼける派には、感情を持つだけ意味が無いようですね。
ウ~ム、色々な手がある物だと個人的には感激。知れた事を感謝かな?
学問の議論って、もっと自由でいい気もしたりしましたが、固定観念が邪魔するのかなって思ってみたり?いや、あたしの言葉使いに問題があるのかなって思ってみたり…
だってね、話したい所まで行きつけた事って、あたしの場合どうも、経験では無くて、理由に皆目見当が付かない訳ですよ。挨拶で、基本終わり。個人としては意味分からんが、未だの感覚。
あたしの風貌が風体が駄目なのか?あたしの存在が駄目なのか?
と、自己否定と言う勝手に総括を試みても、そこまで根が強くないから勝手に総括は、蒸散するが如くあっさり消えてしまいますし…飽きてしまいますし?
その内、気が付きます。
タブ−なのかな?咬合の話をする事は。
その内見えてきます。
口腔と身体は繋がっている組織だけれど、別に考えなければいけない世間体がある事を。
ならば、何か伝えられる言葉があるかもしれない。とにかく探してみようととりあえず発想するに至ります。5分で全てを伝える方法。あるか知らないけれど…その為には、国語力じゃあ、と勝手に吠えます。
その内、同意してくれる先生も表れるかもしれない。同意してくれる研究者から連絡が来るかもしれない。10年寝食を忘れられたのだから、もう10年寝食を忘れてみるか?
そんな感情もこのHPには含まれているかもしれません。
ま、それは、読み手のご判断ですが。
そんなに大した事は書けなくても、何かあればいいなって、ま、どこかで思った“じゃあ、どーすんだわさ”で勝手にほざいた時も、それも一興。
総括するよりも、この方が“らしい”かなって、思えたせいでしょうね。
おしまい。