医療倫理って何だろうって勝手に調べて、勝手に書いたのが最初の出だし。いつの間にか、個人に依存する事に変わっていると理解し始める今日この頃。戦争に医療が利用されてはいけない、人体実験などしてはいけない、そんな所から、集団で、医療倫理を考えたのが、欧米の方。ヘルシンキ宣言でしたっけ?
言葉にすれば、やはり数々の哲学を産んだ文化背景の歴史です。一日の長があると思います。真面目に、医療倫理を考えます。
対して、一人ひとりに依存する事にした際は、どうしても倫理観に統一性が生まれにくくなる背景も登場する気がしてなりません。そんな事を思ってしまいます。
どこかで、百家百鳴の時代と、茶化しても見ました。でも、その背景は、黒ヤギさんは支援されないと困って、メェ—と鳴き、平和な羊さんは、標準病名に病名を合わせて治療法を決める側面がある所に、この問題の、一つの本質があると書いたようにも記憶します。
加えるならば、でも、新しい治療選択肢として、噛み合わせ万能論と言う形で新しい生計形態を見つけ始める集団も居るのかも~ねって、茶化した気もします。
只、単純に器質障害から、活動障害にそして生活障害になるという話で、歯だけがそこから除外されているのは不思議~何て書いた気もします。別に、あたしは、言論の方では無いので、それに、市井の草見たいな位置付けの歯科医なので、不思議以外は特に感想はないのですがね。
そう言いながらも、教育現場から見ても、基本的には身体との関係性を追求されている訳ではありません。だから、まずは、この咬合と言う世界を慎重に考えるべきと思うのが、一応、立ち位置。
でも、何で、そんな風に静かな不思議で居ないといけないといけないのかなって、勝手に閉塞感を感じていたら、会いましょ、なんて返事がきます。
さて、何か釈然としない感覚のまま、向かう事を決めます。
そこで、思う訳です。
今回の目的は只一つ。タイの*学部の教授(***ーン大学***;立場は内緒)ドクター***(一応、これも内緒)と面会する事。カッコいい事を言いつつも、本当にお会いできるのか、仮に会っても、適当に茶を濁されて何もなく帰るのか…
(ま、勝手に感じる燃えたぎる思いが、話を聞くよっていう言葉に誘われて国外を出ます。実際はまだ微かにある熱い心の残り火がそうさせたのでしょうが、これ、あたしの言い分。ついでに、言い分を繋げるならば、この際、もうどこでもいいやってそんなやけっぱちな思いもあったかな?てな感じで、タイへ行く事を決めます。それが、始めの言葉になるわけ。)
そんな不安を抱えながらも、メーターはグイグイ上がっていきます。今回の縁を作ってくれたウッチャンに、思わず聞きます。『スピードを上げているけれど、この国には、リミッタ—は無いのかしら?』あっさりと、「無いですよ。」これで、僕の不安は、恐怖に変わっていきます。120キロをいきなりかっ跳びで出された時には、焦りません?
人間なんて弱いものです。心では自生の句の準備です。しかし、不思議な物です。中々浮かんできません。死のうとした事は一回もありません。しかし、死にたいと心弱く呟く事は何度かあります。
ふと、横を見ると、空港からの列車が更に追い越す勢いで迫って来るのが高速道路の向こう岸の列車の架橋から分かります。120キロを軽く超えていると思います。抜かされ、あっさりと差が開いて行きます。見越したようにウッチャンが「最高速度160キロと言われていますよ。」
これが、この国と理解しようと決めます。日本と如何に違うかとか、日本がどうとかそんな考えを巡らせる意味は無いと決めます。こんな高速の風景も全てタイの一風景と決めます。
旅行じゃないし、只、心にあるアホくさいぐらい拘る情熱が衝動的とはいえ、“いいや、やったれ!”で、タイ行きを決める訳ですから、人間の心とは分からないものです。てな訳で、エコノミークラスのANAに乗り、日本語で言う素泊まりホテルに到着!!安く、安く、それが今回のテーマ。油断できない開業医経営。只でさえ、一杯一杯なのに、ここで無理は出来ません。
*この為に、借金をしたようなしないよな。アホな情熱です。
この素泊まりホテルが、あたしにとってはとても衝撃的でした。バックパッカ—あり、夜のご職業の方あり…成る程人生いろいろね。
24時間備え付けの(?)レストランとコンビニが見え、受付に入る。
さて、今回は、ここまで。
果たして、タイの日々は如何に?