そ、実は、始めに紹介しようとした患者のお話。その次なる物語になるみたいです。映画とかであれば、第2章と言うキャッチコピーになるのでしょう。
何かね、寂しくなってね…
と、結局は感傷論かよと言われてしまったら、これまた失礼しました。決して、そんなつもりはないのですよ。でも、興味が無ければ、どうぞ、飛ばされてください。それが、個人のHPと言う物です。
入れ歯の人工歯が、砕けます。
その修理が、今回でした。
おかしいな?半年間あっていないよな…次のメインテナンスは、3か月前と思いつつ、ま、それも、自由意思、ありか?呑気な性格故、こんな解釈。でも、前はこんな擦り減り方はしていなかったのに…
じーっと、砕けた入れ歯の歯の部分を見ながら、悩みます。
何が起きたのだろう…
一部かけている部分も、整体後の痛みをこらえる為の食いしばり…
摩耗も、痛みをこらえる為の食いしばり…
クレンチングと言います。
噛みしめるな?と言う暗示も、きっと、通用しないのでしょうね。暗示で、自己催眠で、この手法を否定する立場でも無いですが、でも、それが通用しない場合、それに対応する専門機関は、今の所無いように、個人としては思っています。
結論を言えば、ポジショナーと共に調整をすることで、身体の痛みを取り除き、活動できるように戻します。
不思議な顔をされます?
何故、治るのだろう?
デンタルサイクルに嵌る理由って、決して歯だけの、口腔内の問題と限らない気がするのです。身体との関係でも、平気で起こり得ると思うのですよ。そして、身体のせいで歯が駄目になった場合、患者は思います。
“歯医者の腕が悪いせいだと。”
もし、仮に、歯が器質障害のみの問題で、そして、活動障害、いえ、機能障害からトラブルに巻き込まれる事が無ければ、歯医者は歯医者のままでいられます。
ですが、仮に、歯医者が歯科医と言う言葉で表現されるという事は、見方を変えれば、身体との関わりを見失うなって云う、先人達の経験的願いが無かったのだろうかと?個人的所感です、ご判断は、読み手に委ねます。
歯医者は歯の事だけを考え、歯を如何に保存して、歯を如何に削って、歯を如何に被せて、材料は何にこだわって…
後は、神のみぞ知る。これぞ、噛み合わせな~んて事は無いと思うのです。ま、分かりませんが。
きっと、そこに根拠なり基準たるものがあると思うのです。
気が向いた際、そんな先人たちの歴史でも触れたくも思います。
話を戻します。
身体の影響で、顎の動きが阻害されている。痛みをこらえるように、噛み締めて堪え続ける。そして、歯に(この場合、入れ歯)影響を食らう。
もうこうなれば、自己催眠も通用しません。
ポジショナーと、その後の調整は実は、こういった状態になった時など相当に有効です。
身体の痛みは消え、首が動き、肩が動く。耐え続けた半年はなんだったのだろう…これが、患者の言い分。
あたし、別に身体を治そうとそんな大それた事は思っておりません。只、身体の悪さのせいで、また、歯を治すのは嫌なのです。デンタルサイクルに嵌り込むのを防ぐ、その位置づけにメインテナンスがあるのではないかと思うのですよ。だから、今回悪さをしていると判断した身体の、お手当をさせて頂きました。
こんな話を息子が聞いたら、訴えると怒っちゃうわ…
こんな感じ。チャンチャン。