そこで、まずは、装置を主体に治った例を、この場合、体に波及した例をいくつか入れてみたく思います。
何で、そんな事を思っているか、多分、単純だと思います。
奥歯をおかしくしてから、僕自身、体に肩こり、首凝り、腰痛、顎関節もありますが、睡眠障害で、相当気をつけないと、やはり、日常生活がおかしくなるそんな体を持っているからかもしれません。後、たまに手が痺れるとか、昔はめまいもちでしたし…
多分、究極は、自分が治る手法を見つけたい、あるいは、治るものか知りたい、そんな思いが、もしかしたら、裏にあるもう一つのエネルギーなのかもしれません。
心理学者ではないので、蒼い呟きはこれぐらいにさせていただいて…
笑う事に、自分の噛み合わせがおかしいと感じたときに、噛み合わせを習ってみるかという単純な動機が、丸山先生との出会いでしたし、このきつさを治せる事が、何かにつながる事になるのかなって思ったわけですし、ま、人間なんて色々な感情を持つ生き物のようです。
理由を挙げれば、まだまだありますが、それは、またの機会に…
さて、こんな出だしから入ると、どうも調子が出ません。気分を変えて、書いていきたいと思います。
うまくは、本当にうまく、言えないのですが、実際の所、噛み合わせや、顎関節症とか、咬合病とか、色々な表現で表される、専門的に、簡潔に述べると、顎・口腔内疾患というのは結果として、体に様々な影響を与えるようです。
少なくとも、エビデンス上書かれている治療法を、歯科界の中で言われている色々な考え方を、守りながらも、行っても上手くいく方、そうではない方と(ほとんど多くは、上手くいく方でしたが、出なければ、市井の小さな医院です。自然と淘汰されてしまったでしょう。)分かれてしまいました。事実を書かずに、つくろっても仕方無いですからね。
今も、中々治らない患者さんと一緒に戦っています。
私どもの発想は、我々は見捨てません。見捨てられるのは、我々ですという考え方です。
苦しいです。
見捨てられた事もあります。
でも、信じてくださる方がいる限り、分らなければ、調べ、勉強を課すようにしています。
だから、大変です。
でも、多分、楽しいとも思う事はあります。
そして、治った方の、何気な言葉は嬉しいものです。
明日のエネルギーになり、この言葉を聞く為、明日も頑張っているようなものです。
話を戻します。
だから、発想を大きく変えたのです。
分っている事も、分かっていない事も、一回壊して、整理をしてみよう。
それと、医科はもし、病名がつかない場合、どんな対応策をしているのか、それが、関連図との出会いでした。ですから、何重にも地図を引く作業をするようになったのも事実です。
保険診療のコーナーでは、基礎に忠実の考え方は、一応考えられる限り、自分の言葉で作るようにしています。だから、この章でも、どこの章でも、なるべく自分の言葉にしていきたいという考え方しか僕にはありません。
でも症状を如何考え、どう落ち着かせ、完治の旅に向かわせたかは、やはり、何がしかの着目点を渡しながら、記載していくしかない、そんな風に思っています。
体と噛み合わせについて、ネットでも、本でも、探せば、やはりいくつもいくつも、目に触れる事があるかと思います。それは、それで、良いことかと思います。
でも、僕には多分大事な事は、如何取り組み、どうやった過程で治っていったか、それが、一番、何かを感じていただく上で、大事だと思えるのです。
完治したと思ったら、新しくトラブルを派生した場合もあります。その事も、一個一個、書いていきたいとも、思っています。ただ、遅筆な分、いずれでしょうが…
医者は経験の仕事とは昔の、人間も良く的を突いたものです。
その経験が、やはり、今の治療の安定性を作り出していると勝手ながらに思います。
ま、宜しければ、先に目を通してください。