等尺性反射という咬合を維持するうえで大事な反射系があります。同時に、それが、維持できない場合もあるようです。咬合がおかしいと自覚される患者の場合、この機能がなかなか、収束系に収まらないことがあるのかなって、現場にいる際思う時もあります。
で、咬合紙の上では、歯は接触していることが確認できる。
生理学的にいえば、適応性筋短縮による効果というのでしょうか?
問題は、この際、何をロスするのか、ミスするのか(消失するのか、見落としていくのか)ここに、とても大事な何かがあるように思います。
ま、現場額ですから、とりとめもないお話なのですがね。
顎位がずれているという視点も決しておかしくない思う立場をとっています。でも、顎位というとらえ方も、何をもってと、ミスというのかロスというのか、そんな視点も時に大事でないかと思うこともあります。
ま、ラブレターは終わったので、今度は、何か気がついた事を、学会にチャレンジしてみようと思う今日この頃です。
気がついたなら、公にしていかねばと、妙に"葉がくれ”の精神に、惹かれる今日この頃です。
でも、面白いものです。公の党という立場ではその理念で、天皇制(この言い回しは正直、好きになれません)は否定。でも、護憲です。意味がわかりません。
国民の安全は大事です。護憲ですが、個別自衛権は認めます。でも、集団的自衛権は駄目です。
戦前は戦争をしなければいけません、と、散々あおって、今は、国民が認めているから個別自衛権は認めますが、集団的自衛権は認められません。
集団的自衛権を認めたら戦争の道一直線です。が、その答えだそうです。→と、私は理解しました。
国会という立法の府も、政府という行政の府も、そんなに能力はないのでしょうか?そんな気持ちで選挙に行っていませんが…
いずれにせよ、性奴隷にあこがれる方々が、奴隷に国民をするが如く、無駄に仕切りを作り続けている気がしてなりません。
国家があって、国民がある。そして、憲法があると思うのですが、どうやら、左巻きのフィルターは違うようです。
戦争があって、9条がある。9条があって、日本市民がある。で、国家は?あからさまに南シナ海で悪さしているあこがれの国に、支配されることを心より望んでいる気がしてなりません。
国家よりも憲法が大事とこだわられている気がしてなりません。
共通点は?
奴隷制?
まさかね!
どんな精神に惹かれて、国家を見られているのか、時々、破廉恥な方々と勘繰ってしまいます。
南シナ海の件を批判することは出来ずに、現実とかけ離れた世界で物事を見られることが、とても怖いと思います。
一生懸命仕事をされておられるのでしょうから、どんな言葉も遠いのだろうなって思ってしまいます。
政権交代という言葉が具現化していくには、単純に与野党問わずに、リアルにこだわることでは?と思うのですが、相変わらず性奴隷の奴隷商人に恋焦がれているようで、侵略のアジアにより奴隷の如く扱われている侵略された民のことは、おいてきぼり?と思う今日この頃です。
一国だけで自衛しようと侵略のアジアに対峙する場合、予算がどれくらいになるのか、そんなリアルな所から、議論が進めばまた、物事も見やすいだろうにと思ってしまいます。
難しいのでしょうね?
反対するだけならリアルより、観念が一番と来るから、厄介だなって思ってしまいます。
おしまい