そういえば、言葉ってとても大事だとつくづく考えるようになります。というか、言葉の持つ意味というか、言葉を相手が受け止め、それがどう・・・う~む。上手く言えないのですが、相手の心で成長するか。これが、興味深いと思う時があります。
臨床では、こいつのせいで、冷や汗をかく事があるから興味深いで済まないのですがね。
理想は、真実があるがままに伝えられれば素敵なのでしょうが…
伝える側の真実と、伝えられた側の真実が違う時があるとでもいえば良いのでしょうか?
真実という言葉を使うから、ややこしくなるのであって、真実という言葉を使うから、文学ポくなるわけで・・・
いけませんね。
上手く言えないのですが、主観て云う奴が一番、厄介な所なのでしょうが。主観が適正でないとすれば、思いこみと云えば良いのでしょうか?
思いこみという用語を入れながら、話を拡げてみたく思います。
五感で認識される物を等価値で受け入れられる事を邪魔する物が、多分、この思い込みだと思っています。。
伝える側にも伝えられる側にも、勿論、思い込みもあるとその前提をおいて(個人としては)良いと思っています。
(哲学っぽく書くなら、主観的分析なんて表現する方が良いのかもしれません)
あるいは、常識という中に縛られたガンジンがらめのその人特有の自己主張の域を脱せられない意識の縄張りとでもいえば良いのでしょうか?
で、宗教ぽくなりますが、それと一線を引く存在として心という用語を置いてみたく思います。
さて、話を少しずつ進めたく思います。
1)思い込みの育ち方?
では、思い込みとはどんな過程で育っていくのでしょうか?
歳を経るにつれ、認識したものを言葉でラベル貼りをして、自分の中で順列を作って行く。整理をしていく。
この順列は好き嫌いかもしれませんし、自らにとって、優先度が高い低いで整理されていくのかなって思うのです。
それに従い、先に紹介した五感で認識される物を等価で受け入れる事は、だんだん出来なくなっていくはずです。それで良いというか、自然なことだと私は思います。
それが、大人になる過程の通る道だと思っています。
毎回毎回、五感で受け入れていたらしんどいですもの。
そして、合わせて常識が育っていくのだと思うのです。常識を持ち合わせるようになると云えば良いのでしょうか?
2)私の常識と、あなたの常識の違いがある事実について
さて、個々がいつの間にか常識を持ち合わせながら(無論、常識を持たない事は大人になる上では問題と思いますが)大人になって行くと考えますと書いたのは、先に紹介したとおり。先に記した認識したラベル付けの結果、いつの間にか、自分の眼で見ず、頭の中で出来上がった言葉、思念で物事を捉えるようになるのだろうとこの頃、考える時があります。見方を変えれば、あるいは過激な云い方をすればラベル貼りの結果、色眼鏡を通して見るようになってしまうかもしれない。
その連続性は、時にレッテル貼りにまで成長して、言語によって、時に足元すらすくわれる時があるのかもしれません。無論、足元をすくわれるばかりでは仕方ありませんから、常識が、社会で生きる上ではそれぞれが無難に交流する大事なツールになると思います。
もう一度、常識という言葉の意味を整理したく思います。
社会を構成する人々の一員が有していて当たり前のものとしている物とでもいうのでしょうか?その構成要素には価値観、知識、判断力がある。あるいは、客観的に見て当たり前と思われる行為。そんな風に、理解しています。
だから、私とあなたの常識には、若干程度から、相当程度まで違いがあっても不思議では無い捉えています。でも、社会が成立するならば、民主主義である限り許容されるものだと思うのです。
3)レッテル作業の持つ意味。
さきに、心という一線を引くくものとして用語を置いてみました。
心の性質が仮にあるなら、不生不滅と説く考えもあるようです。意味合いとしては、ものごとは生じることもなければ、滅することもないという意味で、何も無いところから生じることはない、滅してしまえば何も無くなるということはないという意味のようですが、不勉強の私にはどうにも捉えられません。
だから、私は意訳のかもしれませんが、最初からあるもの。そして、平等に存在し、変化しないもの。言葉で表現も出来ず、思念で捉える事も出来ない物。強いて言えば、五感から来るものをあるがままに捉えられるもの。そんな所で、理解するようにしています。
で、思念や言葉で括りつけない事って、多分、今をどう生きてみるか?ついでに、含めるならば公の為に、どう関われるか。そんな意識体を持つぐらいが、心に近づける方法なのかと考えるようにしています。
ところが、この心。実は、邪魔する物が大きく分けて2つほどあると思っています。
一つは、レッテル貼りの言葉を、相手の心に響くような言葉を駆使していつの間にか常識を変換させるよう仕向ける事だと考えています。
妄念という言葉があるそうです。
迷いの心。誤った思いから生じる執念。妄執、そんな意味だそうです。
レッテルで自らを縛りつけ、それで既得権益を得てしまった者は、心の叫びではなく、妄念の働きかけで、相手の常識を変えてでも正義という言葉に置き換えて自らの正当性を確立する作業を選択せざるを得ない。
どうやら、和式リベラルと云うのでしょうか、和式左翼は、この妄念に身を置いて、既得権益を渡す側にその身を置かざるを得ないのかなって捉えるように個人としては変化しています。
そして、ますます妄念に縛られていく以外ない。そんな所なのでしょうか?
だから、妄念を成立させる為の武器。
歴史認識=従軍慰安婦、新しく尖閣諸島、靖国神社等
和の意識の分断=沖縄独立等
日本の正当性の崩壊=天皇制という言葉の作成と、連なる紡いだ歴史の脈歴の断絶等
日本の独立性の阻害=憲法改正、集団的自衛権の否定等
こんな整理をしたくなくてもするように段々となるから困ったものです。常識が明らかに変わってきているようです。逆説的ですが、和式リベラルの方や、和式左翼の行動は妄念に感じて、その儒教が如くの行動は、いつしか嫌悪という常識まで与えてくれそうです。
儒教の国々には、お金を集金する正当なブランドの武器であり、誠意とやらを貰えるうちでの小槌である限り、絶対に彼ら自身が乗り越えようなどとは、残念ですが努々発想されないと思います。
既得権益を与えられた和式リベラルの方も、和式左翼も相手が乗り越えようとすることは、とてもゆゆしき問題になるはずです。
両者とも、集金システムを手放すつもりは毛頭ないでしょうし、誠意は受け止めるものでなく、与えられるものという構図は変えようがないと思っています。さらに嫌な云い方をすれば、海外では従軍慰安婦像を相手の迷惑など顧みず、女性の人権という言葉に置き換えて建立され続けるでしょうし、国内では、手を変え品を変えデマゴーグなのか、プロパガンダを発信し続ける気がします。と同時に、新しい売れっ子商品を探し出して騒がしてくれると思います。つい最近だと、多分、国会前でラップをされていた集団が久々に出た商品だったのでしょうか。
だから、一例として、例え一国の首相をどんな形であれ務められても、喜んで土下座が出来るのでしょう、でも、どうやら、新しいヒット商品には今のところなれないようです。努力が足りないのか、売り出し方を色々と工夫されているようですが、中々、上手くいかないようです。次は、どんな売り出し方をされるのか、お里が段々知られていくようで、この商品は不良品と思いますが、また売り出し方を変えるのでしょうか?役に酔いしられておられるようですから、もはや制御が効かない状態なのでしょうか?
でも、この方の大根演技のおかげで、和式リベラルも和式左翼も、常に意義を問いかけられ続ける分、その商品価値は、別の意味で偉大なのかもしれません。
個人の中では、これら集団は、心の中で排除するぐらいしか方策を私は思いつきません。
4)もう一つの邪魔?な物とのお付き合いの仕方?
きっと、グロバルリズムという強い資本主義体制にそのヒントはあると思います。では、日本という国が、和を持ってという精神を思い出せれば、また新しい資本主義の在り方を作れるのでしょうか?個人としては、疎い分とても興味深いと云うのが、今のところの感想です。駄目ですね。
5)ふと臨床で
歯の痛み、首こり肩こりの患者さんに説明を加えます。臨床の一風景ですから、嘘かもしれません、本当かもしれません。それは、読み手にお任せするとして・・・
この関連性には、二つの神経反射の回路が予測されます。
一つは、姿勢起立筋の回路が優位な場合。この場合、このスプリントで、既に症状が軽減しているように、相当期間持ちこたえられると思います。云い方を変えれば、対処療法で十分と思います。
一つは、舌の空間把握能の問題が優位な場合、残念ですが、スプリントでは限界が生じ、抜本療法まで、追わないと行けないかもしれません。
今の五感で感じられている変化が、どこまで続くか、それが、キーだと思います。何かあれば、ご連絡ください。
もし、歯医者の仕事が、銀歯を入れたら外れない事が、常識なら受け入れてもらえないだろうな~。そんな恐怖を覚える瞬間でもありました。
そういえば、5年間仮止めをしていた、元?繊維筋通症の患者さん。仮止めが取れたらてき面にに足に来ました。そんな話を貰います。慌てて、今回仮止めを再度行い、後日改めて本着をする予定ですが、反射という歯科医領域の仕事を常識として受け止めてくれていただけたから、事なきを得そうですが、油断は大敵です。半年弱ぶりのメインテナンスの直前の出来事でした。
反省しろと偉そうに言えませんでした。昨日の患者さん仮歯がとれて、私が、まさに反省しろでした。
関連性がどうあるのだろうと、悩み続けて、歯と身体をつなげる物に、そうか、口腔内の反射の関連性が自分なりに一つになり始めてきている出来事なのでしょうか?
おしまい
。