1)ライセンスの意味を知るとは?
歯科医になって、多分、多くのライセンス者は「解決法を持つ」という意識を持つ。多分ね。自分がその技術を持っていなくとも、紹介先は、自分より上級医は解決法を持つと信じる。(信じたい)
多分、その理由は明確だと考えます。
一言で表現すれば、歯科医の仕事の形が、大工仕事という側面があるからではないでしょうか?
話を変えて、困った人を見ると「どう解決するか?」を真っ先に考えるのが、もしかしたら、成熟した人間と云うものなのかもしれない。分らないけれど。
ここで、分岐点が、分れると思うのです。この事を、ずっと個人として悩んできたようです。
解決するという作業は、多分、こんな感じだと考えます。一般論なのでしょうが。
どう解決するか?解決したいと云う内なる声に従うならば、どう解決すればよいのか、現状を認識し、対策を立案し、実践し、結果を分析する。時に、トライ&エラーをしながら問題解決に近づいていく。
その一方で、解決する事など考える事も出来ない。問題解決の様々な障害には立ち向かわず、それを乗り越えない行動の中、ひたすら共感を情緒的に誘導するお立場の人もいる。何しろ、「解決したい」ではなく、自分ではない他者に解決したいという内なる声を共感させるよう(利用して)刺激を与え、気が付くと、自分の手を一切汚さないよう努めるお立場の人がいる。
この立場は非常に、楽だ。立ち回りを上手に心がければ、そこには既得権益が生まれる気すらします。
その一方で、ライセンス者は、常に矢面に立たされる気がします。なぜなら、これらのお立場の人と違い、患者と対峙しないと行けない。
2)そんなお立場の人の隠された思惑?
このお立場の方々が、共感思想を利用するコツは多分、至って単純だとこの頃思うようになっています。
○○がなくて可哀想。○○であって、可哀想。○○されたとすれば可哀想。
その下で、彼らの為に、あなたに何かできる事はありませんか?
解決思考とあえて、一線を帰すとすれば、その差の捉え方は単純なはずです。
何かできる事とは、解決法の模索と、成熟した人間は考えると思います。
もちろん、出来る事と、出来ない事も当然、その中には含まれる筈です。
でも、これでは、既得権益など生まれません。先のお立場の人の場合、解決思考ではんく、相手に対する共感をまずは、求めるようです。ここを重要視しているから、解決法には繋がりようがない。
相手に対する共感を重んじる考えもここにあります。これを上手に利用しながら、問題の共感へ、これらお立場の人は狙って導こうとする。
抱える問題を解決する事などあってはならない。今、お困りの事を助ける事が、重要だ、こんな展開に情緒を上手に利用しながら既得権径を守ろうとされる。。
そして、挙句、この連続性で、抱える問題もいつかは、解決するという論説に引き入れる。
着目点を解決ではなく、助けるにはという視点に目を向けようとさせる。ここが、多分、既得権益の温床に繋がると捉えるようになっています。
しみじみ、上手く考えられた手法と思うようになっています。大したものです。
ところが、あたしら歯科医の大工作業には通用しない。その事実を、どれだけの歯科医が気が付いているのだろう?いつの間にか、この方々の手法に毒されてはいないだろうか?そんな毒を吐きたくもなります。
3)解決思考が未来志向なのか?(共感思考から生まれた感情の)助けると云う作業が未来に繋がるのか?
助け合いの社会という、多分、これは、この国の中での事を指し示すはずです。先のお立場の人は、この国という垣根を取っ払えば、どこでも通用すると云う事を気が付く。無頓着に困っている人を助けると云う崇高な精神を利用できれば、いえ、共感させられれば、既得権益は必ず求められる。
解決と云う言葉の意味と、共感と云う言葉の意味は全く違う。しかし、これをあたかも一体化させるように、しかも解決など求める必要性がない共感へ誘導できれば何ら問題などない。この時、既得権益は完成する。
解決思考にさせないコツは、多分、愛国心を持たない事。→公性を考えられては行けない。→解決をさせる方向に持っていってはいけない。
歴史的史実を捉えさせない→現状を分析する事をさせない→解決をさせてはいけない。
集団的自衛を考えてはいけない→他者との付き合いを独立した関係で捉えられては困る→既得権益が消える
そう考えれば、確かにこの国の首相を許せないって、至って本心が現れるのでしょうね。人権派を装うには、流行語候補にする以外ないのでしょうかね?
移民を受け入れよう→フランスで爆破テロが発生します→移民の”い”の字も云われなくなりました。
そんな穿った見方すら覚えてしまいます。
日本を大事にしようと云う発想は、既得権益者にとっては一番の危険思想です。
日本は駄目だと云う自虐史観に置ける限り、既得権益が守られるはずです。
考える事よりも指令に従う人種を育てる方が、既得権益は守られます。物事を表層的にしかとらえられず、すぐに共感できる人種を育て上げられれば既得権益は盤石です。それか、無関心層の増殖でしょう。
そのように考えると、アッシの場合、左巻きの方々の根底って得体のしれないどす黒さを感じてなりえません。考えすぎかもしれませんが。
コメンテーターと云う社会的責任よりも、首相を許さないという事を平気で画面で伝えるのも、如何に既得権益がそこに隠されていたかの、危機感の表れのように思えてなりません。
靖国神社の件で、妙に違和感を報道のある紙面に感じました。ま、共感できないからでしょうが。
アメリカ軍のレーザーを当てた方、その知り合いのはずの”記憶がありません”と、記録していても平気でおっしゃられる頭を垂れる事を知らない”瑞穂の国の住人”のセリフにも、相当に違和感を覚えました。ま、共感できないからでしょうかね?
「解決思考」と「共感思考」は違うはずです。その性格の違いは、既得権益に(条件を整えさえできれば)共感思考が、利用されやすいからだと考えます。情緒を重んじるのはここにあるのだろうなと感心した出来事でした。
関係者方々の、正々堂々とした対応を信じたく思います。
人生の苦難から抜け出すには、共感思考よりも解決思考の方が大事ではないかと捉えるようになった時と、報道の媒体紙や、テレビの画面を見ないと決めたのは実は、時として同じでした。
ライセンス者にとっては、患者の声に共感するよりももっと、大事な事は、解決思考を持つ事ではないかと考え改める時でもありました。
偉そうに聞こえるかもしれませんが。(偉い人間ではありません)
それぐらい、共感という行為は尊い物と、いまだ思っています。
でも、ライセンスに求められている十分条件は、解決思考の方だと思います。そして、必要条件が共感思考になるのかと捉えています。
4)解決思考が未来をつなげると信じたい側からの発信
さて、レポートも佳境に迫りつつあります。来週から完成した物を順次送る感じです。
そういえば、お医者先生。私の仕事場には脳溢血の患者が運ばれます。生死の確立は50パーセントです。でも、ライセンス上、立ち向かわねばなりません。
あっしには、思い言葉に感じました。
計測の先が、(アッシが期待している)可能性があるのか、そんな事は分りません。
評価と結果は別物です。
大工と云う性格である限り、100パーセントと云う事がありえないといけないのか?
医療と云う性格な限り、100パーセントになりうるのか?
歯科が(ここではこの表現ですませます)頚部固有感覚を支配する可能性を持つ限り、とても重い命題と個人のあっしには思えてなりません。
患者と寄り添い、病気と対峙する。とても、重い課題なのだと、ふと思った衝動で書きなぐってみました。
もし、最後まで読んで下さった方がおられれば感謝します。
ま、独り言みたいな物なので、適当に流されてください。
そんな大した人間ではないと思います。
はい。
おしまい