偽の…と、言いたくなる感覚に襲われる時があります。ま、多分何かを感じるから、そう思うのでしょうが…
この国の立法府の活動が始まりました。
たしか、メディアの方がたや、神学論争の中に浸る方々の説明によれば、
言論の自由はなくなり、映画も作れなくなり、言論統制が起こっている社会の筈でした。
群靴の音が聞こえ、徴兵制が始まっている国家体制になっている筈でした。
独裁政治が始まって、民主主義は終わっているという解説でした。
この展開になっていない中で、こうなっていると啖呵を切られた方々は誰一人
そうなっていない説明がないまま、立法府が活動されます。
これって、偽物?の空想を訴え続け、で、非難が始まります。
揚げ足取りなのか、話を前に進めないために手品を変えられているだけか?
これ、偽物の正義?って、いやな感覚を覚えてしまいます。
記憶に違いがなければスーダンのPKOを決められた野田政権時代のことを
決めた立法府の方が、批判する。なんで?偽物の責任感?と、思ってしまいます。
白紙の領収書の問題をクローズアップされた独裁政党に置かれては、友党の方々が
されていることには、赤く素知らぬ顔?結局、偽物?の問題提議?
すごーく嫌な感じを覚えます。
TPPを決定したのは、二重国籍問題で嫌な展開をまき散らす前政権を担った新党首。。
で、自身のことは頬かむりで、関係なく、これを批判される。これって、偽物の条約意識?
偽物って便利です。偽物が闊歩して許される。あっしは、すごーく嫌な感じ。
比較するのもおこがましいのですが、イメージ的にはゴールポストを動かすのが好きな儒教の国のような
瞬間的に思いついたことを行動されて、その先に対する責任感があられるのか、疑問を持つ感じです。
もっと、発展的な話をしていただきたく思うのですが、瞬間的というか反射的な行動と、批判じゃあ、
むなしさを感じたりします。
現症病名って言え、これは原因が不明確だから現症で対峙しているだけで原因がわかれば
あるべき病名も付くでしょう。そうなるといいですね~。
一個一個整理する事って、多分大変だと思う。
紆余曲折してでも、真実に向かおうとする力と、胡散臭い批評と批判をまかり通す事に鈍感な迷惑が
あたかも対等のような位置づけにしている事が、すごく嫌なのだろうと思うのです。
国会という本来、緊張感があり未来と今を、そして過去を取り入れる中で現在を導く基幹の姿が
小さな揚げ足取りという行為の厚顔無恥ですら批判は許さない平等意識の様がとても悲しい。
ま、殺したがる馬鹿どもの側のようですから、仕方ない。
被害者ではなく加害者が大事にされる方々に、妙な違和感を覚えます。
日本人が困った、OK.困らせた側を守らなきゃあ。
困らせた側から、仕事が来る。OK、大事にしよう。
日本が困る。OK.困らせた側が、日本人を加害者になるべく、何でもいいから被害者として導かなきゃあ。
日本人による被害者に認めさせた瞬間、お金をたかれるよね。OK.それを、困らせる側が手伝っちゃうよ。
その為には、揚げ足取りから始めるからよろしくね。
平等の前には、揚げ足取りも立派な仕事だよね、OK。うまくいったら、政局で情報操作で
情報の仕事も潤うぜよ。楽なマッチポンプも揚げ足取りから。静かに、見守りますよ。
早く、日本人を加害者にするネタ探さなきゃあ。
曇った心模様です。
アッシのできることなど、限られています。
でも、やるしかないのか、そんな葛藤が心の中を駆け巡る。これが、多分、一人になるとリバイアサン
になりそうで、嫌なのでしょうね。
(ライセンスシャの)自分にも戒めなければならない言葉かもしれませんが。
”歯で本当に体も人生も変わりました。私は今日のような説明を受けたかった。”
こんな言葉を頂戴します。
発信者の言葉とその意味は向こうにおいて感じ事は、実はもっと複雑です。
この意味と、この苦しさは、こいつ(何を指すかは知りませんが)と真正面に対峙した側しか
持てないから、多分複雑なのでしょうね。
もう少し、論文に謙虚でいなきゃと思いなおした???それとは違うけど、ま、何かを感じて、
今一度気持ちを引き締めようと思って記した次第です。
なんか、憂鬱。
ファイト!
落ち切らないところで、おしまい。