面白い物です。色々な二面性があるものだとしみじみ思います。
1)幹事長ならぬ感じちゃうというのも…
「日本死ね」と相当に不愉快な言葉を流行らせた方は、表面では潔白で善良な方を演じられていた。
全国のお母さんの為、子供の為と言いながら、肉食系の活躍もされる。
不正と思われる事は疑いが持たれた方が、証明しないと正義でないと強く表面では言われていた。
説明責任があるとも言われていた。
ですが、自分の二面性が曝け出されると、説明は無し。
そそくさと、無言を貫かれる。
でも、この人をジャンヌダルクの如く持ち上げられる人もいる。
見る目が無いとそれだけと思うのですがね。
いい仕事をされるなら清廉潔白である必要はないというのがアッシの考えでもありますが、清廉潔白の顔を前面に押し出しながら、まるででたらめというのなら話は変わります。
話にならないと思います。
言う事と、行動の乖離は卑屈な匂いを感じるのが嫌なのでしょう。
2)日本が金を出せばよいというのも…
ミサイルだ、核だときな臭い匂いは正直、嫌で仕方ありません。
やられるまで耐える以外ないという状況が嫌なのでしょうね。
仕掛ける事はしないまでも、いい加減にせい。いい加減にしないと、懲らしめよ。
こんな普通の会話が出来ない事が嫌なのでしょうね。
9条があるから安全だから、歴史的に日本が悪いから相手の立場に立たねばならない。
不思議な二面性の導かれ方です。
日本は耐えるしかないから、お金を出せばよい。
不思議な二面性です。
二面性という構図は、背反性という側面が強いかと思えば、この頃はご都合主義と言う二面性なのだと妙に思うこの頃です。
3)結局は
結局は仕事をこなそうとする人は、二面性とかけ離れたところで生きて、仕事をしないで稼ごうとするする人は二面性で
生きる?そんな邪推な事を思い始めている今日この頃です。
でも、厄介な事はこの仕事をしない人が、ご都合主義の方向に常に社会の邪魔を仕掛ける事なのだろうと思うように
なっています。
この仕掛けに陥らないコツは、テレビや新聞のニュースを始めから疑う事だろ、あるいは、距離を開ける以外
無いのだろうと思うようになっています。
さて、自分の出来る事をしていこう。
おしまい