静に始まり、静かに帰る。そんな感じで学会を終えます。ま、こんな物と思いつつ、一人何かを感じた感じでした。
筋骨格系の変化をお医者というライセンス者が、お認めになるにはそう簡単な物で無いのだなって合点がいった瞬間でもありました。
頚椎のアライメントの変化をお見せすれば感じられるのか→分かりません。タイでは、それで・・・
→こんな反応だときっと、大したことはないのだろうと当時思ったりもしました。
反射という観点では、と思いましたが、存在を試されない限りどうにもならない。敗北感でも無いのですが、参ったな。
そんな事を思いました。
アッシとしては頚椎のアライメントが揃う理由を知りたく、これを狙って出来ないと行けないと、当時思って
一旦、頚椎をレントゲンで追う事を絶対視しなくなったのですがね。
というのも、実際は、線維筋痛症患者頚椎のアライメントが一見揃ったように思えても、
治らない方が出られました。これが一番のショックだったです。振り返れば、
絶対評価にはこの手法は成立しないと理解した時でもありました。
器質障害であるが器質障害部位不明という視点を、ここら辺は?という考え方もやはり受け入れてもらえませんでした。
仕方ない。
試してみれば・・・と思いつつも試さない限りはどうにもなりません。
仕方ない。
モリカケと情報の方の騒がれますが、50回以上も野党が知恵を結集しても何も出ないという事実はどうしても出てこない。
出てこないと、首相が隠しているという展開にはめ込まれようとする。
50回以上もおやりになって出てこない事実よりも、首相が怪しいという事に収める。
何故だろうと違和感を持ったりもします。
この理由を理解するよりも思い込みで解決が図られるという展開が違和感なのだと思います。
多分、国を愛するとか、公益とか、公という意識から離れれば離れるほど、思い込めるのではないかと
思うようになり始めている今日この頃です。
質問された先生が、蝋を置く。は、やられないだろうなって思います。
私は脳外です。
学識の壁は、中々大変だろうなって思うこの頃です。
アッシの捉え方なら、実際に蝋を貼ってみてどうなのだろうとチャレンジしても良いように
思いますが、多分、違う何か受け入れられない何かがあるのでしょうね。
中々、難しいのだと思いました。
仕方ない。
次は全身咬合学会。
テーマは静に終わり静かに去る。ここら辺なのでしょうね。
何時かは、変わる時もあるでしょう。それだけをずっと先の未来に期待をすると言った所でしょうか。
ずっと先の未来はアッシは生きておりませんので、その時の方にお任せする以外無いと思うのです。
でも、出来る事はやる以外ないのだろうと思う次第です。
おしまい