1)計画・実行・評価・改善という言葉
計画・実行・評価・改善という言葉があります。あっし自身、実際の所、正直あまり得意でないかもしれません。
何か目標を立てて⇒これは自由に考えられるので挫折を顧みず考えてみたりもします。立てるたびに反省のような気もします。
実行⇒心弱い人間なので、多分実行をしているのでしょうが、無駄に経験を積んでいるだけの気がします。
試行錯誤という自分を励ます事もありますが、これが中々結果が出ない。
そして落ち込む。
評価をする時、”落ち込む”が先に来るから厄介です。
『努力したら、報われる。』そんな言葉に無邪気に憧れた時期もあります。信じていた時期もあります。
陳腐な表現ですが諦めても、努力しないとどうにもならない。そんな事があるのだとしみじみ思う事もあります。
しかし、これはこれで、不思議な物です。この行動は、どうにも心にしっくりと嵌らないから厄介な物です。
2)賢者の贈り物
オー・ヘンリの小説だと思いました。短編で学生時代目を通し結構、ホノボノとした感情を覚えたように記憶します。
有名なのは”最後の一葉”だと思いますが、アッシ個人はこちらの方が好きです。個人の趣味はさておき。
ふと、世間で踊る言葉を拾い集めると結構、アッシは凹みます。
一言で言うなら、上手い表現だと思います。#イケガMeTooで踊る賢人を装う言葉群。
この言葉群が厄介な代物と納得します。
これなどは評価という事が出来たから言えるのでしょうね。適切かどうかと問われるとよく分かりません。
でも、北海道の地震後のブラックアウトの問題ですごく納得します。
#イケガMeTooに納まる賢人らは、本質には絶対に近付かない。
原発に着目などしない。
経済的損失はどんなものかと、案じてしまいます。
経済的損失は生活に支障が来ます。
その大事さは、置き去りにされている。
電気が無ければ、寒さが凌げるのか?
日本が侵略されている事実など#イケガMeTooは関心が無い。あるのは、賢人の言葉に酔いしれたいだけ。
メタタグという賢人の知恵にはほれぼれします。
ふと思います。この賢人ども、科学に一切興味が無いのだなって理解するに至ります。
アッシらの社会が文明をと共に進む時、確立という視点で如何に危機を最小に抑え込むか。これが課題なのに賢人の言葉の背景に
科学的視点が一切ない事にようやく気が付くようになります。
性奴隷伝説のメタタグ新聞という情報の方には歴史学という視点の欠如。
ま、個人が納得する上で必要な通過点だっただけですが。
返して賢者の贈り物には純粋に相手を慮る心がある。この価値観に科学など不要でしょう。
でも、#イケガMeTooの輩、メタタグの奴らには兎にも角にも、屁理屈と薄っぺらい響きの良い音だけで
結局は、活動家もどきでしかないと評価を持つようになります。
賢者の贈り物の意味など、こいつらには届かないのだろうな。寂しく呟きます。
3)唐突に科学的に
Jカーブ効果という科学に基づく言葉がります。
結局のところ、計画・実行・評価・改善は、継続でしかありませんし、ここを諦めてはいけない。
こんな所に大事な物があるのだろうと思い直すようになります。
咬合が落ち着くと頸部アライメントが落ち着くはず。そんな事を信じていました。
やはり、確信と思っても良いようです。
そして、さてこれをどう賢者の贈り物という所まで昇華させられるだろう。
#イケガMeTooやメタタグ新聞と一線を引くために、昇華させたいと思い始まる今日この頃です。
兎に角、こいつらが好きな弱者・平等という言葉の響きに酔いしれて科学性もない所で
文明を壊す活動家からアッシは一線を引きたい。益々、メタタグの中に生きる情報から距離を益々空けて、
#イケガMeTooの言葉に惑わされない、そんな力を持ちたいと思う今日この頃です。
如何にグタグタな人間かと反省しきりな今日この頃です。
久々な、呟きです。
おしまい