咬合治療という表現もあるようです。個人的には、この表現には違和感を持ってきました。
違和感であり、咬合治療を否定する訳でもありません。
咬合を変えるという視点に立脚すれば、咬合治療という表現になるのでしょうが…
多分、アッシが違和感を感じていたのは、咬合治療という言葉が、”あたかも独り歩き”をしているように
感じるからでしょうか?
この咬合治療が意味する目的というか、目標が定まっていない(ように感じる)事がきっと、違和感を感じる理由
なのだろうとこの頃は、一人理解しています。
相当に整理する事、再確認する事。そんな努力は必要でしたが。
きっと、治療の性質を称すだけで、そこに何があるのか。その持つ性格が見えないせいなのかなって思うようにもなっています。
例えば、癌治療という漠然としたと形容する事が許されるか分かりませんが、そんな表現があります。
この一言で、色々な事を想像することが出来ます。
治療法には、例えば外科処置があるとか、例えば放射線療法があるとか、免疫療法があるとか。等々。
目的は癌を取り除いて、そして***と膨らみがある気がします。
他方、咬合治療と称しても何を指し示すのか?果たしてどれだけの歯科医が指し示す物を一例として挙げた癌治療のように
膨らみをもたらす事が出来るのでしょう。
歯科医が膨らませられないならば、世間に浸透する訳がない。
それが、多分違和感を持つ理由なのだと思うのでしょう。
この咬合治療という言葉が厄介なのは、静的関係を示す顎位の問題。動的関係に絡む咬合の問題。これが並立するものか、
或は単体で考えるべきか。こんな複合性があるのかと見極める必要性がある所なのかと思うようにもなっています。
例えば、転んで口が明かなくなり⇒口が開くようにさせます。(初日)
口は開くようになりますが歯ブラシを当てると、感覚がおかしい。そして歯が痛い⇒感覚を取り戻させます。完全ではありませんが。咬合痛は次回の課題とします。
咬合痛は痛みが減ります。(2日目)
こんな事も咬合治療に入るのでしょうか?
口がまともに開かない。⇒開くようにします。(初日 型取りスプリント、2日目セット)終了
こんなのも咬合治療なのでしょう。
歯医者の仕事が歯を削る事だとすれば、実は一切歯を削っていません。
技術背景は、専ら徒手的療法のみです。
では、何をコントロールしているのか?
アッシは脳神経の回路径を正常方向に戻す事であり、時に頚椎のアライメントを適切化する事だと考えています。
咬合治療で頚椎のアライメントが適正化する可能性があるなら、とても有意義な事実と思うのです。
これが、実際に可能であるならば、咬合治療は始めて性格というのでしょうか、あるべき意味合いを持つのではないかと
思うようにもなっています。
そんな呟きでした。
おしまい