■2013/11/28 解明という行為は本当にありえるのだろうか?
骨と言う構造体を上手く利用しながら、筋肉が動くのか?
骨と言う構造体を頼って、筋肉が動くのか?
多分、前者は関節の可動性を利用して、上手く動く感じ。
多分、後者は関節の可動性が劣化して、ぎこちない動きって感じ。
そんな事を記したのが、前のお話。
で、そんな時に、妄想したお話。主題は、慢性疼痛と言う事で…
で、歯科医が慢性疼痛にかかり、歯科で治れば、歯科に可能性を見いだすのでしょうか?
で、お医者先生が慢性疼痛にかかり、医科で治れば、医科の実力を確認されるのでしょうか?
で、ここに対処療法、原因療法、根治療法と言う言葉遊びをしてみたく思うのです。
例えば原因の器質要因が分かっていたとすれば、実は単純にメカニズムが分かるのではないかと勝手連ながらの想像をします。あくまでも、器質障害の部分が分かれば、です。ここが、肝心。この器質障害が見つからない事に、どうやら疼痛性疾患のあるグループは難解な見えない方程式を解くが如く、医療者は挑まざるを得ないのかなって思うのです。
で、妄想が膨らみます。有効性と価値観を自分なりに整理できないだろうかってね。この妄想時点では、多分、対処療法と原因療法と言う視点で何かを悩んでいたのでしょうか?アホ故に昔過ぎて覚えていない気もします。
で、医科の世界観のなかで、有効性と言う評価の一つに理学療法があるように感じます。あたし個人の解釈では、脳の回路へのアプローチと捉えて見ます。生理学的な観点に立てば、反射経路のプログラミング?という発想を持つに至ります。
これは、刺激のキャッチを会得できるかどうかにかかっているのではと、勝手に妄想を膨らませたりする訳ですね。
この刺激の記憶をスプリントに記憶させることが出来れば、面白い事がおこるような予感がします。今現在は、お会いする症例の病態偏差値が上がってきているようで、結果、この手法は、この頃使う機会に恵まれない事も、不思議だなって思う時もありますが…ま、人生色々ですから、仕方が無いのでしょうが、実際は、苦労はしたくないものです。やるしかないから、やるんだ、なん~っていうエネルギーはあたしの場合、出したくても出せない物といまだ、思っています。この頃のお話は、初期のHPの方に紹介してあるような気もします。読み物ですから、具体的には書いていないと思います。あくまでも読み物ですので、どうぞ、ご了解を。
ま、さておき。
で、話を変えて、別の事を数学的に考え始めます。このどの組み合わせが、重なると何か、爆発的な事が起きないか妄想したりする訳です。
・お医者先生が慢性疼痛になる。
・歯科医が慢性疼痛になる。
・お医者先生が、歯科医のあたしが、どうしても罹患者に対し感じる口腔の違和感の集合体と同じ目を持つ。
・歯科医が、慢性疼痛に対する医科サイドと同じ見識を持つ。知る。
・お医者先生が、慢性疼痛になると口に何が起こるか、現象(症)を体感する。
・歯科医が慢性疼痛になると、口に何が起きるか現症(象)を体験する。
痛みに耐えると、なるほど歯はこういった具合に崩壊するのか?それを放置すると、なるほど口環境はこういった具合に壊れるのか。痛みを誘発すると、口はこう反応するのか?
これは、自らの身体でも理解は出来るのかなって妄想するのです。ですが、自分でも気が付かない世界もある筈です。医療の知識が無い患者から得られる情報と、実体験を介して知る医療情報は、おそらく違うだろうなって妄想します。
さて、この妄想は、どうなっていくか?
それは、またの機会に。
今回はここまで。