■2013/11/30 固定観念でお仕事するのか、舞台を考えて演出するのか?
過去の連続が結果と言う言葉があるようです。過去の連続性も無く、ご事情に合わせて急に矛先をよその国に向ける事が好きなお国があるようです。攻撃的に矛先を向ける儀式も、毎度のように貶める儀式には、正直閉口する次第です。
合わせて、民主主義は多数決で決めるだけなのか、その手法は横暴だという、論説だけでは正直、寂しく思う時もあります。
「社会の秩序を守る為」にが目的語ならば、どこに落とし所があるのか、どこを修正すべきかと言う発想には行きつかない物なのかと、魑魅魍魎の世界は素人のあたしには険しい顔で見つめないといけないと思う今日この頃です。
“現状を守る”と言う対象には、二つの手法があるのかなって想像します。
・環境が変わらないのであれば、勤続疲労が起きていないか確認する
・環境が変わって来て、先々問題が起きる可能性があるとするならば、事前に準備をする。変えるべき点を修正するなり、ざっくりと変えてしまうかな?
多分、こんな所かと思うのです。環境が変わって来ているのに、現状維持が出来ると思い込む瞬間、実は固定観念になってしまい、何も見えなくなるのではと考えてしまいます。
“現状を守る”には、どうすべきか。多分、こんな所に、賢い方々にはご苦労はあると思いますが、是か非かの分かりやすい対戦であって欲しくないと思うのですが、難しい物なのでしょうかね。
単純に未来を紡ぐ為に、どうすべきかと言う訳にはいかない物なのでしょうか。未来が舞台の像ならば、魑魅魍魎に身を任せて、横暴と言う演出にはならないような気もするのですが、どうなのでしょう。未来にあるべき姿に、ルール作りをする方が賢明と思うのですが、ルール作りに参加せずに、一方的に「ほら見た事か」であれば、魑魅魍魎の住民以外どんな表現があるのでしょうか。寂しく思います。大事な作業に、あるべき演出された舞台を見たいと期待したいのが国民の気持ちであります。
さて、あたしの舞台と言えば、歯科治療。
前歯の過剰接触は、相当に患者たる者、嫌な感覚のようです。回避反射、逃避行動、過剰接触による社会活動への影響と、実は、結構、問題だったりする気がします。
単純。
歯を削っちまえ!という手法もありかもしれませんが、結構、その瞬間、顎位も変わり、次の問題を派生させる場合もあるから、事はややこしい。
歯医者の仕事が、虫歯、歯周病で治まる時代であれば、きっと、ややこしい事も無いのでしょう。
ですが、科学の進歩は8020運動に象徴されるように、如何に80過ぎても歯を残せるか考えてみようの時代です。ともすれば、この事象が、決して“現状維持”をする為に、固定観念で管理すれば上手くいくという訳には参りません。固定観念で治療をすれば上手くいくという訳でも無さそうです。
さて、この固定観念と、あたしが称す物が何なのか、そんなお話。
人間の身体は素晴らしい。その前で、いつもあたしはたじろぐ。
おしまい。