■2014/02/19 参ったな。
咬合って奴は、一つ筋縄で行かないというのが、あたしの立場。無論、「そんな事ないよ。大丈夫。」って言われる先生もおられる事と思います。
『得手・不得手』の技術論の世界と言う一面で捉えられるならば、匠に自らを変えていければ最高なのでしょうが、中々どうしてと思うのが今日この頃。
唯、歯科医が歯の治療を行う限り、偶発的なのか、必然なのか出会う筈だよなって、思う事があります。実際、どうなのか?ここに、生理学という学問を当て嵌めと景色が変わると、個人のあたしは思っていました。今も、そうですが…
生理学で、何を見つめるか?多分、そこが肝要ではないかと思っています。
過剰接触という奴と出会って、こんなに身体に影響を与えるのか?“参った。”
顎位の不安定感(この言葉に集約させます)が、こんなに身体に影響を与えるのか?”参った。“
で、咬合の定義は、上下顎の歯牙の相対的位置関係と為っている。では、この相対性の意味は?
噛み合わせって?この場合、どう考えるのだろう?
ズーット、パーツパーツを組み合わせ続けたような気がしています。どんな木なのか、その森はどんな様なのか知りたくて、仕方ないから生理学の地図を見つめ続けていたように思います。
少しずつですが、多分、自分が知りたかった、いえ、納得したかった山の頂にたどり着けたのかなって、思える今日この頃です。
臨床は決して、甘くない。
歯科医の仕事は、大工作業かもしれないけど、この大工作業がとてつもなく大きな仕事のように、納得し続けるこの頃です。
機能障害との対峙は、歯科医は多分、免れる事は無いと思う。気がつかなければ、あるいは、その必要性に出会わなければ、もしかしたら最高だけど、そんな事は無いのだろうなって、思う今日この頃です。
おしまい。