■2014/04/09 咬合治療について 長台詞かな?
あたしと言う人間が、器用か不器用かと自問自答すると、多分、不器用と言う言う側に立つと思う。
何が、ってなると、一言で言えば、”どんくさい”って言う所でしょうか?
”どんくさい”から、考えて考えるしかないと思っています。そんな性格だから仕方ないと割り切るようにしています。
成程、頭いいなって思ったのは、性奴隷と言う解釈を性奴隷のような働きをさせられていた。この論法は、成程頭いいなって正直、思ってしまいます。
キャンプホロワーと言う事実=売春婦→慰安婦→性奴隷という鉄板に確実事項から、慰安婦に戻どして、労働が性奴隷のようだった。
成程、これなら、奴隷商人を用意する必要はない。
強制連行だから、性奴隷という論法につなげていたのを、強制連行という事実関係は向こうにおいて、人権に戻す。
女性人権を際立たせる方法は、性奴隷と言うセンセーショナルの言葉の用意。
働き方を性奴隷のような慰安婦像に戻せば、女性の人権という譲られない杭に戻す事が出来る。
成程…
歴史を知る必要がないと言ってみた後、晴れ模様にならないと見るや、領土紛争の歴史背景に触れるのではなく、両方の言い分を書けば、丸く収まると論調に変えてみる。
一見、双方の言い分を知る事で相手の事を理解出来ると、相互理解と言う杭に導く。
成程…
頭良い。
絶対に譲らない杭が、どうやらこの世にはあるようだ。次の人権は、移民という方向に向いているように思えます。
頭の良い人は、自分の決めた杭を、この国に植え付けるまで、手を変え品を変え、表現を産み出す代物らしい。その杭が、この国に適するかどうかは、関係無いらしい。帰依したアジアか、自らが定めた世界地図の方々の意見なのか、プロパガンダを尊重して、そこへ強要したいらしい。
ハァ~
対して、咬合。ついつい、似ているような感覚を覚える事があります。
前段が長くなって嫌なのですが、あたしが感じる多分ダークな感覚はあまり紹介したくないと無意識に思うのでしょうね。
嫌になりますね。
もっと、端的に表現出来る技術があればな…
さて、本題。
咬合を治すと、こんなに良くなります。→メディアの方々も取り扱って頂いております。ありがたい事です。→こんなに良くなりましたと言う方を、画面を通してみた事はあるでしょうか?
咬合がおかしくなると、こんなことが起きます。→メディアの方々が扱って頂いてありがたく思います。
↑
現場にいると、本当にあるのだおるなって実感を持っています。
実感は、経験から来るのでしょう。
で、実感が科学なのか、こういった表現を用いるのは、能力の無さを表明する様で恥ずかしいのですが、科学的な立証が為されているのでしょうか?
咬合がおかしくなるという意味はや、原因は何なのか?咬合治療と文言も市民権を得たようですが、では、その咬合治療とは、何なのか?
引き算をするのが、咬合調整なのか?
即ち、咬合治療は咬合調整を行う事なのか?では、その基準は?
基準があるとは、言うなればガイドラインもどきになれるのでしょうが…
それとも、先の頭の良人が決めた杭にすべく論理展開ゲームだけを推し進め、結果、エビデンス抜きに、せめて自然科学に忠実に理詰めで進む事は難しいのだろうかと思う事もあります。
咬合治療を唄うならば、咬合を触ると言う事は、顎位が変わる事を患者も歯科医も共有した方がいいのになって思うのです。
例えば顎の角度がどれだけ変わるか歯科医は把握された方が、あるいは、患者も理解された方が良いと思うのです。
偉そうに言っている訳でなく、経験で知り、理解したく知ったと言う方が、あたしの場合正しいのですが…大した人間でない証拠ですが。
咬合治療の手法の中にスプリント(定義は省きます)療法が存在する事は否定するつもりはありません。ですが、その意味や治療ステージにおける位置付けがどうなっているのか、どれだけ歯科医が理解されているのでしょうか?
ふと、思う事があります。
咬合治療と名を唄うならば、その名の通り、歯科医は病態と対峙する必要があるでしょう。この対峙と言う意味は、その病態メカニズムがどういった経路を通ってとか。せめて、どんな現象が出るのか…現症でなくても、あたしは良いと思っています。単純に肩こりとか、頸コリと言う論説だけでは、とても悲しい事のように思います。
咬合治療とは、ズバリ咬合を触る事です。この触ると言う事は、咬合の定義通り、上下の歯牙の相対的位置関係を、ある目的の為、コントロールする事でしょう。
ある目的とは、それが、病態との対峙と意味するのではないでしょうか?
少なくとも、どう行ったメカニズムなのか、生理学用語で十分に話せる事が要求されるでしょうし、咬合という形態と言えば良いのか、あるいは、構造と括って語ればよいのか分かりませんが、いわゆる構造学まで抑えてなければいけない気がしてなりません。
あたしは大した人間でないので、結局は、経験から調べ、知り、論文をつなげその持つ意味を覚えた程度の人間でしかありません。
本当、大した人間でないです。
最後にコントロールについて軽く。
咬合調整は、引き算だけでなく、足し算もあって良い筈です。足し算だけでなく移動もあって良い筈です。
複合系の病態である以上、複合系の要素を加味した治療メニューが要求されるのではないでしょうか?歯科医に要求されるのは…
そんな事をふと、思います。
こんな長い文章を読んで下さる方がいらっしゃるとは思っておりません。魔除に、ろくでもない表現からスタートさせて、途中で挫折してくれると良いなって思いながら書いています。飽きたら、プチっと読むのをやめちゃいましょう。
本心に近い部分は、あまり出したくないのが、あたしと言う不器用な人間の性格のようです。
唯、今回だけは、ちょっとだけだして見たいと言う思いを持つきっかけがあったようです。
その紹介だけ。
少なくともコントロールできないから、第3者に頼って何とか出来ないかと筋なのか骨格なのかコントロールしようとしても、どうなのでしょうか?端からこの部分を歯科医がどうコントロールすれば良いか知らなければ、きっと、こういった方策は上手くいかないのではって思います。
コントロールは出来るが、効率性を上げるためとか、患者の希望もあるからという理由で第3者を言葉は選びませんが利用するという選択肢とは、相当な距離があるように個人のあたしは思います。
実は、今まで咬合で苦しんでいらっしゃる方が、どれだけ真剣に、例えば当院のhpを眺めてくださっていたかと言う視点は、どうやら欠如していたようです。
咬合が分かる先生とはどうやれば出会えるのでしょうか?
その方が置いて行った、多分、相当に重い言葉でした。
この方の治療をお引き受けするかは、分かりません。
どうやら、命がけと言う奴だけは見えたので、正直、個人のあたしは、滅相もありません。そんな心境です。
明日は、肩関節炎、手のしびれ、顎関節症と言う方へ、何かを説明しなければなりません。
骨格的歪み由来で、嚥下障害を持ちつつある方の面談もあります。(口腔内とご理解ください。あたしは、歯医者ですから、全身なんて恐れ多くて…)
ようやくかつて、歯科界の歴史のどこか始めのページで、口中科を設けるべきだと言う考えがあった先人の洞察の深さに畏敬の念を覚えた程度の人間です。
どうか、最後まで読まれて咬合治療を考えられている方。
慎重に考えてください。
多分、基準はどこに於かれているのか?
顎ずれと言うのが、基準ならば、それもありでしょう。でも、その瞬間、咬合治療とどう繋がるのか、脈々とした治療プランと言うか、こんな感じの物語ですという話まで発展して理解が促進される説明であれば良いなって、そんな場面に参加させてもらえると素敵だろうなって思う立場を取っています。
あたしと言う人間が、器用か不器用かと自問自答すると、多分、不器用なう側の筈です。
一言で言えば、”どんくさい”からです。
”どんくさい”から、考えて考えるしかないと思っています。そんな性格なのです。
成程、頭いいなって思わせる術を持ち合わせていないようです。遠くの方から、さもありらんという単語集を持ち合わせていないからなのでしょう。
大した人間でないです。
頭良い人にはかないません。だから、考え、共有していきたいと思うのでしょうね。
おしまい。