■2014/05/03 等尺と等張性
今日、久方ぶりにバイトの先生が来た。ま、いわゆる代診君って奴だ。
大学院が忙しいのか、中々、お目にかかれないので、久方ぶりの登場は、ちょっと、嬉しい。
教育制度が変わったせいか、あたしらの頃とは違い、妙に調子が狂う。そんな側面もある。
ま、平たく言えば、大学で患者治療の経験が、少ないという表現に尽きるのか、あるいは、臨床教育が弱くなったと言うべきか…
時代の変化、変化で、教育も変わっていくようですから、どうコメントをして良いのか正直、あたし自身分からないと言うのが立場です。
代診君は補綴科の先生になる。
今日、代診君は、咬合治療と補綴治療の差を少しだけ経験をしたのかもしれない。
水平性、正中性、多分、こいつと、過剰接触、この現象が最後の最後まで、あたしとクリニックと、患者を苦しめてきた物と、勝手ながら認識しています。
こいつは、正直厄介だ。
厄払いが通用するなら、早速厄払いをして見たく思う次第です。
ですが…
厄払いではすみません。
すいません。厄払いでは、無理です。嫌になります。
で、模型には、骨の複合性を主体に正中を描くものと、大学で習った上顎骨の真ん中を通る存在があるのでは無いかと考えている。
で、前者が身体の真ん中、後者が上顎の真ん中と言う次第だ。
な、馬鹿な!
どちらも一緒だろ?と、考えるの自由。
それがあるかも?と考えるのも、勝手。
ですが、筋肉は骨に付託していて、歯には付着していません。
顎位は、抽象的に身体の真ん中と言う言葉を目にした事がかつてあります。
さて、何ゆえに真ん中と、根拠は如何に?
これが、長年の課題でもありました。
相補下顎位と言う言葉が成立するには…(こいつの定義は、割愛します)
フェイスボウトランスファーの弱点は、時に外耳孔(耳の穴)の位置が既に水平的にずれている場合もあります。
そんな現象に現場でいると始終合います。
そして、こういう方には、何故か、不定愁訴が多い。
この解決には、お医者先生が一緒に居れば、実は、心強い場合もあるのかなって想像する事もあります。(これについては何時かまた。)
で、下と上の真ん中が揃う関係性、あるいは、整然性が取れる時、噛み合わせが一体化するのではないかと個人のあたしは考えています。
噛み合わせの学術定義は無いが、噛み合わせが詳しいという価値観があるようです。この心は如何に?それが、いつもあたしを悩ませていた雑音。
条件付けの中に何かがあるのか…
あるいは、見つけていない、そう数学的に言えば、係数みたいなものがあるのか…
さて、少しだけ等尺の話と、等張の話を。
立つ時、筋の長さは同じ、緊張と同じ長さ体系に居る事が基本と考えます。こいつを等尺。
歩く時、同じ歩幅で歩く事が基本。で、その為には筋活動は、同じ姿で出て欲しい。こいつが、等張。
で、歯に筋が付いていない以上、どこについているか?
頭の上から筋が付着している。
さて、顎周囲だけの筋活動が、全てなのか?
顎の筋活動自体は、足先まで活動性の影響があると言うデーターすら出ている。
噛み合わせと身体は関係ないという派閥と、関係あると言う派閥、どちらが21世紀には迎え入れられレべきか?
そんな捉え方もあるでしょう。あたしですか?どっちでも、良いと違うが立ち位置。
臨機応変が現場で、淡々と過ごすしかないから。
で、今日の話。
代診君も手伝って頂くが、正中性を揃えるべく、鞭打ち(鞭打ちで仕事をお引き受けする事は出来ません。医療法で問題になります。)となり、結果、咬合が、ま、歯牙接触癖になっちまった患者の話。
過剰接触の除去から、位置関係作りに入る。
しびれ、楽です。
驚いていた。
補綴と定義を分けた方がいいでしょ?
代診君、納得していた。
で、重い肩こりも併せて持っているディープバイトの患者。
正中を揃えた見たら、楽になっていた。
厄介なのは、水平性が違う事。
さて、仕事としてお引き受けするのか?
まだ、分からない。
実際、仕事として引き受けるのかは別に、代診君は驚いていた。
正しい表現かも、適切な表現かもわからないけど、理屈だけに拘って診療を続け続けた姿なのかな?
ふと、振り返ると思った次第でした。
しかい、今日はきつかった。
元線維筋痛症←症状がないから良いかなって?
こんなのバッカ。
泣きたくなった。
で、いまだ、一人は苦戦中。
臨床は、甘くない。
安易に咬合治療は受ける物ではないと個人のあたしは、経験上思います。
少なくとも身体の関係性を語るなら、等尺とか等張とかも絡めて、身体と噛み合わせが関係あるのかないのか、ここに視点を置かない限り、噛み合わせと言う言葉が一人歩きをして、噛み合わせが悪いと***という、根拠のない世界観になる気がするのは、考えすぎでしょうか?
難しいですね。
おしまい。