■2014/08/01 病名が垣根の素か、壁が垣根になるのか
さて、現症病名の難しさと言うか、ややこしさのお話が多分、前回書きたかった事。
あたし個人の認識でしかありませんが、こんな感じなのかと思うのです。
歯自身が痛い。と言う捉え方→多くの歯医者さんが受け入れます。
何故か?
痛みを取って対策を打つトレーニングを受けているから。
この時、多くの場合、手法が確立しているから(確立していると言う位置付けにあるから)トレーニングを受けた成果で対応できる。
では、どういう場合だろう。
そんな事を思うのです。
虫歯!←これは、歯科医の仕事として結構、歴史上長く取り組んできた課題が故に、世間常識においても受け入れられているのでしょうか。
多分。
課題と言うのは、治し方と言う方法論であれば、原因論であり、ま、様々な方面から考えられ、検証されているのかなって思うのです。
で、この治し方と言うのであれば、歯の扱い方、材料から見た歯の扱い方、材料学から来る治療の仕方等々と、表現と言う言葉に置きかえると、こんな形になるのでしょうか?
じゃあ、虫歯以外と思しき痛みを訴えられたら?ここに、一つの問題が出てくる気がします。
ここでは、歯の痛みと言う所に視点を置いています。
虫歯学が、ある一定水準まで達した時、実は、別の問題があるという事がフォーカスされて行かざるを得ないと言う事は無いでしょうか?そんな事を考えます。
あくまでも一人の開業医の呟きでしかありません。研究者ではなく臨床医ですので、研究と言う水準からみれば戯言の域から出ていないと思います。
歯が原因の時、文字通り、歯原性と言う言葉を用いる事が許され、歯が原因でない時、非歯原性と言う表現を、あたしらは用いるようトレーニングを受けます。
トレーニングと言う言葉を用いるのが適切かなって思うようになるのも、、徴兵制が起こるという言葉を左巻きの方々がいき勇んで使われるお陰のように思えます。
武器の使用法が、あまりにも専門過ぎて、徴兵期間という僅かな時間で習得出来るほど、甘くないような気もします。言い換えれば、それだけのトレーニングが既に要求されるから、空想の論理は破たんが起きている様にも思えます。そして、寂しくもなります。
空想でしかないのに、起こると言う話の展開が。とにもかくにも何かの立場をお守りになりたいのかなって、嫌な感覚を覚えます。
で、侵略のアジア、侮辱のアジアは、既に行動しているのに、空想の世界の価値観では、目の前の事には気がつけないで、ひたすら自己の主張を貫かれる左巻き?の立場って、一体何の立場を守りたいのかと、疑問を持つ時もあります。
で、分かりませんが、虫歯学の進歩は、言うなれば虫歯が主体で派生する痛みは対峙出来るのかもしれない。でも、それ以外で起きる歯の痛みは?
それ以外で派生する歯の痛みの問題は?
医療者は、病名をつけた時、その病名に従い、治療を行う事になります。
歯原性の病名であれば、歯の治療になるのでしょう?
では、非歯現生の場合は?
この時、単純に虫歯の治療では対峙出来ない事を意味しないでしょうか?
では、現場は?
研究者が、何かを見つけるまで目の前の患者を無視するかもしれないのが正義なのか?あるいは、対峙を試みる事が正義なのか?はたまた、知らないのが正義なのか?
臨床は難しいと思います。
多分、正解という評価では成立しない気もします。
でも、非歯現生の痛みが実は増えているとすれば…
さて、どうしましょう?
立場を守るという視野とでも言えば良いのでしょうか?上手く言えません。あたしですか?
先人たちの見出した物を、探し出す。
ここら辺に、何かがあるかなって。思いまして。
でも、左巻きの心は、歴史と言う基準は無いのか向こうに、空想の歴史があるようで。でも、こいつを楯に、立場を守ろうとするから非常にややこしい。
唯、その中から垣間見える壁は、日本悪い子論、ダメな子論という目的の為には、大きく展開を変える、そんな気がしてなりません。
で、この靄の力はややこしい。思い込みが全て。そんな気がしてなりません。
あたしは、その思い込みから如何に、距離を開けられるか、それが大事なのかと思うようになっています。
それが、医療が自然科学という分野である事を忘れない手法なのかと思うようになり始めています。
さて、どれだけ思い込みにあたしらは縛られているのでしょう?
そんな事を思います。
で、まとめ。
病名が垣根なら、歯科と医科の狭間の物と言われる現症ほど、両者の垣根を超えて検証できる方が、道は近道なのではと、呟きたくなります。少しだけ、始めています。
その検証を憚る物があるならば、その壁は、思い込みという奴と言うか精神があるせいなのかなって思うようになっています。
でも、そこに医療のもしかしたら新しい道があるとなれば、新しい展開が、壁を打ち破る力になると信じたく、いえ、まだ、願いたく思うのです。
さて、どうなるやら。
おしまい。