■2014/08/19 等尺っていうけど…
等尺と言う世界と口に中を考えてきました。
その前に、余談ですが、等尺反射という反射は起立に於いてはとても重要な反射になります。
だから、一時期は、ひたすら姿勢反射に関連すると言うか、関係がある筋群を調べ続けた時もあります。
咀嚼筋群も、その観点から見ると、悩ましい事に、姿勢起立筋に当てはまるようです。
で、生理学と言う学問を横に添える時、身体と口は関係ないと言うのは、相当に無理がある気がしてなりません。
相当に関係するか、しないかと言う次元と、全く関係ないと言う価値では、多分、科学と言う土俵に乗る際、相当に調子が悪いのではと、思う時もあります。
どうなのでしょう?
で、物の本を読んだりすると咬合状況は、等尺である事が望ましいと書いてあったりする訳です。
ここまではとても受け入れやすいお話なのですが、問題が生じる事に、途中で気が付きます。
じゃあ、等尺と言う環境にあるかないか?
それはどうやって見出すの?
補綴と言う学問が歯科の臨床には存在します。
ナソロジ—と言う学問が盛んな頃、今から30年前となります。
あ、この頃の研究には顎機能もありました。歯牙と、顎機能の関係と言うのでしょうかその関連性もありました。
こういった、歴史の事実を積み重ねる時、歯と身体は関係ないと言う価値が、個人としてはとても寂しくなる時もあります。これは、認識論にしかなりえない気がしてなりません。
歴史認識が全てで、史実は空想で良いと言う、アホな人々と何ら変わりはない気がします。このアホさの延長が、性奴隷を使ったという捏造まで作りだした訳です。
歴史の中でどのように、あたしらの先人達が研究を続けてきたか、それを打ち消す事は、果たして如何なものなのでしょう?
そんな事を、確認したうえで、話を続けたく思うのです。
おしまい。