ま、独自の進化を辿って、日本の歯科医療にガラパゴス化の構図を作るのも、自律や自立ではなく、標準にこなすという平和な羊に変化を即するのが、支援制度の目指すものであるならば、それも仕方ないでしょう。
でも、世界の常識から離れれば離れる程、世界の人とは話せなくなるでしょうし、世界とあまりに違うと分かれば分かるほど、もしかしたら、医療は不信と言うエネルギーに曝され、良き患者との関係を作れないのかもしれません。
ソクラテスさんなぞは、人生はタダ歩むなかれ、善き人生を歩むべきですなどと、含蓄ある言葉を云われた気もしますが、ガラパゴスと言う言葉の先は、どのように軌道修正か、あるいは更に突き進むのか、個人としては、興味深く見てしまいます。タダ歩く事しかないにしか、あたしには思えません。
さて、そろそろ話を戻していきたく思います。
“先生さ、相手して貰えなくて、ぼやくならば、世界を見てみたら!”
なるほど、そんな考え方があるか。
さて、世界と言えど、どう考えよう。
他所の国の国旗を燃やして、当たり前だという価値観と、戒める言論人がいない国は、とりあえず除外しよう。
これだけ。何日も考えて、考えた先に出た言葉は。
“先生さ、コネクションも大事だという言葉も分かるよ。先生なんて、はっきり言って何も無いのだからさ。”
ウチャンも言ってくれるな~。
確か、3年前の話。
“例えば、教授で先生の話を聞いてくれて、方向性を示唆してくれる人がいれば、会いたいでしょ?”
ま、そんな感じ。
呟く、あたし。
“会えるかどうか分からないけれど、手紙を書いてみない?会ってくれるとなれば、通訳ぐらいはしてあげられるしさ…”
これが、ま、簡単に言うと、タイのお話に発展する訳ですわ。
“ネタは自信あるのでしょ?”
まあね、でも、これ一個だけよ。後は何もない。別に、このネタ、共同でも良いでしょうし、あたしを差し置いて、自分だけの発見にされてもいいと思っているの。だって、それで、温めている物が、川上に情報として流れたら、随分と困る患者って、まずは減ると思うのよね。
ま、何て言うの。
まずは、問題が起こる蛇口をまずは締めたいじゃない。啓蒙を、気が付いた誰かがすれば、まず少し変わると思うのよね。
今は知られていないから、多分、健康被害になると思うのよね。医療被害というには、ちょっと、残酷な気がする。知らないのだから、医療者側もさ。良かれと思う事が、実は、徐々に引き金の下になる可能性もあるっていう事が。
別にそれはそれでいいのだろうけれど、でも、知らないは哀しすぎると思う訳よ。個人としては。そんなものよ。
“そんなに色々と、先生の見ている世界はあるのかね?“
多分ね。面白いものよ。繊維筋痛症ね、歯科治療でイベントになるという割には、専門家自体が、あたし昔矯正していたけれど、成らなかったから、本当になる事あるの?こう返されたりもする訳よ。
何か、変じゃない?
自らが専門家と言う割には、今度は、自らが調べた統計をあっちに置いて疑問形を感じる感性って、凄く不思議じゃない?国語力の世界なのだろうけれど、どうにもこうにもあたし自信は煮詰まっている気がするのよね。
じゃあ、手紙だしなよ。
それが、事の始まり。