例えば、噛み合わせの調整で、顎関節症が治る事はない。
例えば、噛み合わせは、顎関節症の大きな原因ではない
とか、
例えば、噛み合わせの調整で顎関節症は治る
例えば、噛み合わせの調整で体の歪みは治る
こんな言葉を、たまにインターネットを覗くと目にする事があります。
補綴物を入れたら、治ったという話と、矯正をすれば、治るという話は今のところ、私自身あまり、見ていないので、この頃は、流行りでは無いのでしょうか?
むしろ悪化したという悲しい話の方が多い気がします。
長期スプリントを入れていたら、身体がおかしくなったという話も見たりもします。歯が沈んだという話も目にします。
何なんでしょうね?
解剖の絵も、新しい試行で入れたは良いが、一体何をいいたいの?と、言われそうな勢いですね。
小さい声でつぶやきます。よろしければ、お付き合いくださいませんか。勿論、読むことに疲れたのならば、個人の世界です。どうぞ、お帰りください。ここまで、目を通していただき、ありがとうございます。
さて、話を続けます。
そんな色々な文章を、覗いていると、何だか、共通点を見出して来た気がします。(決して社会学者では無いので、違うかもしれません。優しく通り過ぎてください。今回は歯医者さんのコメントから感じた事を記してみます)
一つの共通点に、長期の話が、今の所、無い。その後、どうなったのか、分からない…
一つの共通点に、ぼったくりに合うな!そんな過激な言葉に目が行く事もあります。
面白いものです。では、どうしろと言うのだろう?そう思う寂しさがあります。
面白いものです。その歯医者の生きる術として、行っている行為の是か非かの基準を渡さず、他人とはいえ、同じ世界の資格者を、どうして、そこまで攻撃的になるのかなって思ってしまうのです。自分に自信が無いのかなって思ってしまう事もあります。
面白いものです。続けて、書いてある文章が世界で初めてとか、日本で初めてとか…その忙しい言葉。どうして、一開業医が、世界でとか、日本でとか、まるで、医療では無く、商売っ気丸出しって、思えてしまうのですよね。さもしいというのでしたっけ?
面白いものです。自信があるなら、結果を出しているものであれば、逆に、整然と、淡々と、インターネット上で、発言されればいいのになって。その方が、尊敬できるのにな。
ま、個人の感想文でした。(特定のHPを、指して書いている訳では無く、ただ、覗いた時に、覚えていた言葉を、並べて書いているだけです)
一つの共通点に、良く分からないが、完全否定。
一つの共通点に、様子をみましょう。
一つの共通点に大学病院に行きましょう。
他
でも、顎関節症は、そこにある。
色々な可能性(治療法として)が、難病であったり、怪病であったり、不治の病と言うのであるのならば、出てきてしまう事は、やむを得ない気がするのです。
だから、こういう治し方で、取り組んでいるという言葉が出てきても仕方がないとも思うのです。
それが、結果がどうであれ(治療成績が)さまざまな治療の表現がされていてしかたないと思うのです。
私どもも、特化してこの病を書いているのも、多分、何かのきっかけになってくれたら嬉しいなって、思う所、勿論、縁あって、お会いする事が出来たらいいなっていう現実的な所、そんなもろもろのエネルギーが、診療後の時間に書かせているエネルギーなのかなって、思うのです。
ところで、顎関節症って何?