現状の維持を肯定されたい人は、患者の目にはあまりよくできた人だと写らないよう努力をしたほうがいいかもしれません。神秘的と思われたら、きっと、この場合、正しくはありませんが、間違いではないと思います。患者である彼らは、あなたに多くを求めるようになり、たった一度要求を断ったなら、たちまちそれまでに受けた数え切れない成果を忘れてしまうでしょう
咬合調整は、咬合理論に基づき診査、診断を行い、やみくもな咬合調整は危険です。総義歯の配列を行った経験がある歯科医師が、咬合調整をすると安全です。
どこかでお見せした写真は、もうこれ以上、側切歯を削れない所までその物語を発展させました。
定期的に襲う痛み。
とうとう、前歯に襲い始めた痛み。
顎の痛み、頭の痛み(頭痛)口が開かない…
今までは、口を開ける時、引っかかる所を殺していけば(削って引っかからないようにする)上手く行きました。
しかし、流石に、まん前を削れば…
どうなるでしょうね?
しかし、咬合調整派の次に用意される言葉は上の感じです。
なるほど、そうかと分からない頃は、考えます。
耳に入るこんな言葉を聞きながら、また考えます。
言えることは、人間の身体は良くなるように出来ている。医療が上手に誘導や手助けをすれば、スムーズに治っていきます。基本は、自分の力で治っていく物なのです。
ところが、顎関節症など、治っていかないものもある。きっと、治る事を妨げる何かがある。
でも、顎関節症も、ほっておいても痛みが治まる時は治まっていきます。自然治癒する時はします。
果たして、積極的に触るべきなのか.…
ま、学生時代のうたた寝しながら聞いた(多分)名言。
でも、治らない顎関節症もある。********・・眠りに入り、大事だったかもしれない言葉は抜け落ちていました。
春眠暁を覚えず…てな、駄学生だったのですね。
関係無いですが、総義歯の配列は、咬合調整の感じを覚えること、咬合の対咬関係を覚えるのには最適だと思います。ですから、その経験を経る事なしに歯科医になってしまうと、相当に損したなって思う事があります。入れ歯の基本を覚える上でも有意義だと、個人的に思います。全体が噛む、即ち、occlusal balanceを知らないまま、経験できないままよりは、知る事、体験出来る事はとても大事だと、あたしは思います。
しかし、総義歯配列により咬合調整のタッチ感を覚え、習熟する行為と、咬合調整の顎関節治療は、あまり、あたし的には納得できない物もあります。腑に落ちないという表現かな?ジャンルが違いすぎます。咬合調整と、入れ歯の特性に共通項があるのは認めますが、顎関節症となると…すいません。
ま、総義歯の顎関節症?は、厄介だなって思う時もあります。
ま、大抵は、いわゆる顎関節症になるのでしょうが…
難しいですね。
ところで、4,4抜去をした総義歯が仮にあった場合、どうなるのでしょうね?ちょっと、疑問…4,4抜去された顎の土手でも総義歯は基本、全部歯を揃える物でね?
顎関節症にまつわる話でした。
これぐらいにしましょうか、今回は。
と言う訳で、おしまい。
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