こんな挑発的な事を書きたくなるのには、多分理由があります。
症状を緩和したという意味、あるいは、改善させたという意味で、述べるのならば、その見解に一個も否定的な意見を加えるつもりはないです。
ですが、考えて欲しく思う時もあります。
この病名を扱う資格はどの科にあるのか?歯科であることを、忘れてはいけないような気がするのです。
次に、この病名の診断権は、どの科にあるのか?歯科であることを、忘れてはいけない気がします。
その一方で、歯科医では無理だったからという、論点のすげ替えを時に、目にする事があります。もし、そうであるのならば、逆に,歯科の現状も踏まえ、もう少し、紳士的な対応をされてもいいのではないかと、思うこともあります。もし、その現状も知らずに、強く謳っているのであるのならば、多分、大いに問題があるような気がするのです。残念ですが…
少し、私が知る限りの歯科の現状を述べてみたく思います。主観の世界ですので、事実は知りません。ですので、ご興味があれば、調べられてもいいかと思います。
まず、私の話ですが、顎関節症は大学病院に紹介するように。これが、保健行政ではっきりと言われた事です。ですから、当院では、顎関節症の治療は、保険で受け入れる事は、基本的にはできないようです。保険医である以上、行政、すなわち、お上には、逆らえないわけですね。それでも、という方がいらしても、残念ですが、当院においては、保険治療は出来ない構図になっています。
というか、保険で決められている半世紀前の治療法を、私どもは採用しておりませんので、仮に、行政指導で認められたとしても、多分、その治療法には無理があると、同時に理解していただければ幸いです。そんな話もその内に…
次に医療改革の元、大学病院に、中堅が残りにくいシステムになっている現実がある。新人のドクターが中心の構成の構図になってきている。すなわち、トレーニングをまともに受けたドクターと当たる確率が、より低くなり始めている。
面白い事も、合わせて入れておきます。先進国といわれる国々において、顎関節症を治す治し方が、少なくとも半世紀前の保険制度の治し方から少しずつ、変わってきている。しかし、この国は、半世紀前の方法に固執している現実がある。
しかも、トレーニングを受けた先生は、大学から離れるきらいがある。というよりかは、離れざるをえない状況になる事が多い。
その一方で、患者は治らないという言葉を、思いに乗せて、悩む。
面白い裏話という気もしませんか?もし、他人事ならば…
むしろ、怖い現実という捉え方の方が正しいと思いますが…
医療費は安くあるべきという考え方が、医療費削減に結びつき、結果、余計システム上の無理まで作っている気がします。
そして、その一方で、事、顎関節症や、咬合という世界の講習会は少なく、(インプラントや、審美系の講習会は多いですよ)、現場は混乱という状況に陥る。
また、医療費削減という名目で(歯科医のワーキングプアーという一言に全ては集約されるかもしれません)、手間暇がかかり、時間のかかる治療を開業医自身が引き受けるだけの余力がなくなってきているそんな所も、この病気がなかなか治らないもう一つの裏理由かもしれません。
難しいですね…
さて、そろそろ本題に戻していきましょう。
そんな中で、筋の緊張亢進や、短縮で起きている(原因は別にします)俗にいう筋性の開口障害は、筋へアプローチを行えば、実は簡単に、その場で開いてしまうものです。
これは、トレーニングを受けたドクターならば、実は、簡単に出来るものと思います。(毎回、毎回、内心は冷や冷やですが、私の場合)
このような現実の中、歯科で治らなかったものがという論点は、正直おかしいというのが、私の思いです。
そして、正直、開口障害が開くようになった、という言い方を歯科医以外の従事者が言うのならば、何ら申すものではないです。それを、診断権もない世界の人間が、仮に、筋性の顎関節症の一端を良好にさせる事が出来たとしても、果たして、それを治したという言い方を用いて良いものか、正直、疑問です。
顎関節症は、落ち着かせることができても、完治はないというのが、実情だったと記憶しております。
私自身、この章で紹介させていただく症例は、典型的な顎関節症でしたが、所見的には顎関節症は、治ったという言い方が適当かと思いますが、病理所見的に、MRI等で、精査をしたわけでもないので、完治という言い方をして良いのか、正直、いまだ疑問を感じております。
*完治という定義は、それだけ難しいというお話です。日常生活に支障がなく、快適に食し、生活できているから主訴は落ち着かせた、という所が、個人としては、偽りのない感覚です。
それだけ、難しい診断と治療を要求されるような気もします。
そういうこともありますから、正直、診断権がない(診療権もないと思いますが)方々が、治すという言葉を使用することは、大いに疑問を感じています。
歯科医の指示のもと、あるいは、苦しみを和らげるという表現ならばまだしも、治せるなど、安易に使用してもらいたくないというのが、正直な思いです。そういう風潮に踊らされる意味は考えるべきではないでしょうか?
*癌を治せると、医者ではない職種の人間がいった場合、受け入れられますか?
それと、同じのような感じではないでしょうか?