1)誰でも転換期があるのだろうか?
勢い、大そうな見出しをつけてしまいました。とはいえ、あまり深い事は考えていません。ただ、人生は真っ直ぐではないと捉えています。
いつからか悩み、振り返り、踏みとどまり、間違い、抵抗して、苦しみ生きている様に思う事もあります。漠然とした表現をしていますが、外に出れば男は(今は老若男女関係ないと思いますが)7人の敵がいると云う言葉が、生き残っているぐらいです。だから、大そうな自惚れた表現ではないと思っています。皆、生きている限りそんなものと思っています。
今の所、歯科医になって嬉しい事よりも、嬉しくない事の方が多かったようにも思えます。”修羅場チャン”が、多分、誰でもそうかもしれませんがよく遊びに来ます。本人的には、この"修羅場チャン”訪ねて来て欲しくないのですが、当人的にはそうは参らないようです。
でも、見方を変えると"修羅場チャン”、自分の人生に結構、影響を与えてくれる物だと感心する時があります。悪い友人とは付き合うなと云う物の、こいつだけは避けようとしても勝手に纏わりついてくるから、厄介と云うものです。
その中で、考えなければならない事は、この時受けた影響が、「きかっけ」になると云う所でしょうか?この『きっかけクン』と遭遇すると、明らかに道の選択が求められるような気がしてなりません。いえ、この道と云う表現、実は正しくないのかもしれません、歩いていた真っ直ぐと信じていた道に、急に分岐点が現れるという方が適当かもしれません。時間が進む限り、戻る事が許されない分岐点が、当の本人の意思とは別に急に『修羅場チャン』と、『きかっけクン』のおかげで現れる。
この選択を、いえ、道の選択を誤ると、まっすぐだった道から転落して、流浪の民程度ならまだしも、人生自体がねじ曲がって行くから、例えば小説家という職業が存在できる意義が生まれてくると云うものです。
そういえば、プロ野球で一時代を築きあげた方がおられました。同世代であり、ライオンズファンでもあるあっしは、解釈が変わちゃいました。、単純に”スゲェーナァー”の解釈が畏敬から、哀しみになってしまいました。
で、そんな出会いたくない、触りたくもない『きかっけクン』のお話を、少しばかり。
2)人生が変わる「きっかけ」って?
先の絡みで小説風に書き記せば、『きかっけクン』のおかげで、振り返るとこんな表現になるのかもしれない。、
「あいつのおかげで、間違いが始まった。」
「あいつのおかげで人生が破滅した。」
でも、この厄介な所は、振り返らない限り気が付かないだろうし、併せて、その時の状態で解釈が変わる所なのかもしれない。
とはいえ、その根拠は単純に表せると考えてもいます。
10年ひと昔な~んて云う言葉があります。この言葉は、個人としてはスルメのような言葉と捉えています。その心は?噛めば味わい深いと云う所でしょうか?
10年経てば、本人の体力も状況も変わるし、世の中も環境も変わる。社会が変化して、自分が歳を取るのだから現状維持など出来る訳がない。どんなに努めても『きっかけクン』は現れる。その理由は、『現状を維持できない"何か”が必ず起きる』から。だから、人生は面白いとか、素晴らしいと小説風に捉えられれば素敵なのでしょう。けれど、自信家でないあっしには、あこがれの言葉としか言えないようです。
ここらが、根拠と思っていますし、変えようがないから厄介な腐れ縁と思うようにしています。
唯、『きっかけクン』の演出した展開は、大まかに分ければ二つしかない。「向上」か「転落」か?
向上は何も云う事はないと思いますが、「転落」だけは、落ちる程度を何とか収めたいと思うのが人の性と云う物。
忘れてならない事は、『きかっけクン』に巻き込まれた時、時間が過ぎていく分、気が付いた時には進むしかなくなる。そして、そこから逃げられないから引き返せもしないし、悩もうと戻れないから受け入れるしかない。その事実から逃れる事も出来ない。
そういえば、ようやく国連で従軍慰安婦などと云う物は存在しないと、はっきりと説明して頂けました。これからなので、様子を見守る以外ないと思いつつも、これ以上、尊厳を侮辱して頂きたくない物です。で、30年、性奴隷商人に憧れた報道の方々・それで利益を得て来た方々、さすが今度ばかりは「きっかけクン」も、纏わりつくと思いますから、どう逃げ切るのか、とぼけられるつもりなのか、冷たい目で観察したいものです。靄の方々は、安住の地から出る事をされないと思います。靄の面積が小さくなっていき、追い出される人が出てきてどうなる事やらなのでしょうか?あまり見たくない物です。
「きかっけクン」に誰でも愛されます。そして、それが将来に影響を与える存在と云う所が、曲者なのだと個人のアッシは捉えています。
3)インパクトを取るか、インパクトを信じるか?それとも、廉恥の精神を知るか?
先の靄の方々の延長戦。あまりに人生を変える『きっかけクン』が与えたインパクトが強烈だったりすれば、一生引きずるのかもしれない。それどころか、そこから逃げ出せなくなるのかもしれない。そのインパクトが、自らに悪影響を与えると分っていても、どうにもならないのかもしれない。
でも、失っていない感覚もある気もしています。多分、懐かしさと云う感覚のような物なのでしょうか?上手く言えませんが・・・
自らの格を勘違いするようで恐縮ですが、”懐かしい”というような感覚には、安心感と云えば良いのでしょうか?アッシ自身、品格に、マルッポ自信などありません。
計測というアイディアは、お医者先生との病魔との闘いから、独りの歯科医として逃げ出したくて効率良い方法が、確実な方法が無いかと、もがいた末に歯科医らしく、”らしく”に拘ってみようと、心の中は矛盾だらけの中、何かを気付いた時から始めた物ですし。
安堵が欲しければ、”らしく”に戻る以外無いのだろう。だって、ライセンス以外の職種では、ダメ人間でしかないだろうし、我慢も苦手だし、日本人の大事にする同調意識も苦手だし、苦手をギブアップしないで我慢(ここは、頑張ると云う言葉ではないと思います)し続けたら、戻る事の出来ない心の闇に引きこもりそうですし・・・
多分、(麻薬とか売春とかの興味がある訳でなく)退廃的な空間か、アマゾンのような自然に身を置く方が、実際はどうなるかなど知りませんが自然体にいられる気がします。
そして、安堵が欲しければ、廉恥の精神に戻る以外なさそうだ。そこに、"ライセンス”の意味があるのではないか?
靄の方々の決め言葉。『軍と官憲による脅迫を伴った組織連行が裏付ける(文章上の)証拠は、現在出てこない。』「だからといって、無かった事が証明された訳でもない限り、軍と官憲による暴力的に連行された被害者の主張を実証する事が必要である。」数学的は、ぐでんぐでんですが、報道の方々の見事な手法で大手を振って闊歩する事を認めさせている。併せて、同調意識を逆手に取った破廉恥な手法を見事に、報道の仕事に昇華させましたが、品格を地に落とされている事実を気付かれているのか寂しく思う時もあります。。
アマゾン育ちのあっしは、縁ありかつて日本人が連行された村で育った経験があります。もう、戦後ですから、取り立てて差別があると云う訳でもないですが。だからといって、日系人が、靄の方々のような言説は云われません。"日本人らしく”と一世はこだわり、廉恥の精神を大事にされます。
そこに戻ってみようと、独り歯科医で、反射系を病魔の主人公と疑い始めた頃から自分に、自分の懐かしく思える感覚を大事にしてみようと思い改め出します。
ま、そんな懐かしさとでも云えば良いのか、その感覚に立ち返り始めた時、安堵をする事が出来た、そんな次第です。
もし、インパクトを信じたり、インパクトを取るだけなら、ずっと、独り歯科医でどうなっていただろうと考えるとゾ~ッとします。
鬱病か、自殺まで選んでいたかもしれません。
自分の居場所が”らしく”と身近にある事をしれた時、あっしは何かをふっ切ったように思います。
4)さて、その先は
あっしにとっては、"らしく"の根源は、二つあったようです。これが、一致するまでは結構、時間がかかった気がします。人間です。毎日、臨床に入る時は、怖いし、嫌で堪りません。勇気を振り絞って、白衣の顔に戻る。
そんな感じで、反射系のトラブルという病魔と対峙する時もあるようです。
長くなりました。
ここらで。
そうそう、開業医です。で、ちっとは、経営の事を考えなければなりません。ちょっと、イーパークの構成を変える事を決めた(いずれ変わっていると思います)心の変化を綴ってみました。
おしまい