1)関連化
アッシの場合、どうにもならない臨床での現症に出会う時、いつしか関連化をして考えるようにしている。
ま、分らないから、何とか分りたくて藁にもすがる思いで、関連化と云う作業をいつしかするようになります。占いじゃないから、当たるも八卦外れるも八卦と云う訳にはいかないから、実は表現に悩むのですが。
もともとの動機は、自然科学ではまだまだ未知の物はあっても不思議ではない。では、医者の世界では、そういった場合、彼ら(彼女らは)どのように考えるか知りたくなった事にあるのかと、振り返ると思います。
文章にすると、大そうな事を書いている様に思われるかもしれないが、連続性が何かを見いだすだろうと(手前勝手に信じて)かれこれ振り返ると10年以上続けているかもしれない。勿論、毎回毎回行う訳ではないから、その成果はと問われる時、何と答えて良いか正直分らない。いえ、もしかしたら答える内容はあまりにも内なるあっしの世界すぎて、公にするなどというのは、まだまだ相応しくない気もしています。
でも、続けていた事で考える力はもしかしたら、臨床と云う現場においては付いていると云うか、把握する力は付いてきていると思える時間に自分が体験できるようになって来ているように思われて、少し嬉しく感じる時もあります。とはいえ、それ以外の能力など、相変わらず無いから困った所なのでしょうが。
2)関連化のおかげか
そうは云いつつも、何かを意地でも見抜かなければならないと思い立った時は、この作業も時に悪くないと思う時もあります。たまに、既往歴を上手に纏め上げられ患者がおられます。あまりに正しく把握されている時など、実際そこで何が起きたのか、面談をする前に先に知りたくもなると云う所が、人の情と云う所でしょうか? 詳細は、“歯科の治療でこんな事があるの?”と興味を惹きたい訳でもありませんし、公に共有化されていない中で情報を発信するのも如何と思う所あります。併せて、特に今は書きたいと思う動機も無いので割愛しますが、この連続性の所感は悪くないと云うものです。
3)さて、そう云えば・・・
一人で悦に入るだけであれば、公開する必要もないと云うものです。そんな関連化をする事で、あれ?と思われる(別の方々です)症例の方と出会います。そう、このプロセスで別の判断をされたから、悪化されていったのだろうな?ここを見逃すというより、事実を報告して方向性を固めるのも悪くないと考えるようになります。
*報告した後、どのように考えるかは患者に所属するものだと考えます。
1』上の奥歯だけがひたすら補轍になり続けて、奥歯が土台ごと外れてしまった
ずっとアッシ個人が気になっていた現症の一つでした。こんなケースがあったります。歯ぎしり癖(今のはやり言葉なら歯牙接触癖?と表現して良いのでしょうかね。更なる症状を書かないと問題でしょうが)もあって、舌も無意識に上側に置けず下に置いてしまう。
で、模型を見続けていると、違和感をあっしは感じます。
触診上で緊張性頚反射を確認します。
前歯に意図的にスペースを与えてみます。
すると、舌は上に無意識に上がり、歯牙接触癖が消える事を確認します。
おそらく、後傾反射優位と予測します。(後ろ方向に押すと、身体が後ろに傾きやすい)
では、外れた補綴物はどうなっているだろう? 臼歯部の遠心方向に妙なファセットがあります。
3次元的な位置関係は遠心にもう少しあるべきではないか?少しだけ後方に歯があるような状態をフェイクして作り出します。面白い事に、前歯に隙間があいて。緊張性頚反射が消失して…後傾反射も消える。
ま、それだけなのですがね。
で、お伝えする事は2つ。
一つは、対処療法の連続であれば、この土台の外れた歯の予後は難しくなる可能性はある。
一つは、何が起きているのか考えるか?
この先に、対処療法か・原因療法か・根治療法かと、状況の把握から共有化、そして、方向を決めていくと云う作業なのでしょうが。
でも、安易な発想は筋・反射系にややこしい状況を作り出すかもしれない。そうさせないと思われる対処を最低考えるのも臨床で生きる側の道なのかもしれません。
難しいですね。
2』やばい、これ発展したら本格化するかも…
頸が動かなくなり、痛みが・しびれが…
まさか、歯でと問われれば、歯が直接関係する訳ないじゃないですか!と、今のアッシは答えると思います。昔は、相当に悩み続けていましたが。
これだけでは、起きません。起きてたまりますか!
反射系の働きでの結果と云えば良いのでしょうかね?
で、側頭筋腱に指を入れると、案の定、少しだけ痛い。
下行性の反射経路に問題か?と勝手に思案。緊張性頚反射は確認済み。
頬反射の関係は?疑似で歯に厚みを作ると、頸が動く。
では、舌の空間把握は?今度は舌側に(口蓋側)に疑似の厚みを作る。頸が動く。
位置覚の脆弱化による緊張性の急性化と判断。
トリガーブロック麻酔を行い、スプリント作成予定。
その後、計測しながら急性化を収め、位置覚の再構築。そんな所なのかなと思いながら…
「歯を削ると**と云う言葉って、反射サイクルが変更した結果、適応性が脆弱になる事なのだよね」って“ふと” 思い出す。
難しいですね。
3』歯が痛かったが、よくよく聞くと…
で、今は痛くないけど、2・3日前が痛かった。その時は、顎まで痛みが走った。
よくよく問診を続けると、その1か月前に肩~頸に掛けて痛みが走り、整体(?)に行った。そこで、改善したけれど、いきなり今度は口に来た。
で、歯を見ると、欠けている。
虫歯の定義は、何らかの要因で歯に実質欠損が(割れたり、欠けたり、ひびが入る)起こり、その後、細菌感染した状態。
という訳で、虫歯ではない。
唯、欠けた付近を研磨する。
触診すれば緊張性頚反射とでも云えば良いのでしょうかね?その存在を確認。
さてさて。
今は平和だから、知識をお渡しして、今は利用の仕方をお伝えする?そんな所でしょうか?
そうそう、欠けている所にわざと疑似で元に再現してみます。痛み復活しました。色々な所に!反射は、趣が深いと思える瞬間でしょうか?
機能を考えながら臨床をするようになるのも、実は、関連図・関連化を行い続けたせいかもしれない。そう考えると、継続も悪くない。
4)そういえば
本を読む習慣が日本人から抜けているそうです。あっしも、読まない人間だから偉そうなことは言えない。唯、勿体ないなって思う所もあります。今の知識を支えているのは、実は学生時代にバイトで稼いだ専門書のおかげだし、臨床家になってからの専門書を読み続けた結果だと思うし、唯、“知りたいと云う”動機を支える目的には一番の近道と考えたからかもしれなし、(正しいかどうかはまだ、分りませんが)関連化の能力も本との出会いのおかげだったりします。
そこに何かを得るチャンスがあったかと云えば、どうなのでしょうね?
体系化するには、アッシ見たいな愚鈍は、本に頼る以外ないように思えます。でも、あっしはそこまで賢くないから、人生に思慮深い方々とお目にかかる時心の中では叶わないなって思う事の方が多いです。
歯科医が困窮を極める時代に生きています。(今はそういう時代なのです)
ですから、臨床の中で人生の分岐点をいつも見ているという感覚の方が正しいかもしれません。本で分岐点を知ると云う疑似の経験より、日々の緊張の方がいつしか、小説よりも上回っていると感じるせいかもしれません。そうはいえ、先人達がまだ見ぬ子孫の為に命を張った歴史の前では、果たしてそこまで分岐点なのかという自問も繰り返してしまいますが。
左巻きの方々が平然とされるすり替えの戦争賛美論とは一線を帰したく思いますが。
とはいえ、書籍や文章は、いろいろな重要な情報を与えてくれるのは事実と思います。それを知る事で、真剣に何かに向き合えるのかなって思います。唯、厄介な事は実になり血となるには、アッシ見たいなタイプには相当な時間を要求する事なのかもしれません。
唯、時間がかかったとしても、そこには一貫とした脈々と連なる生き方に繋がる上で必要な事なのかなって考えるようにもしています。
気をつける事は、(あっしは手前勝手な判断ですが)左巻きの方々や和式リベラルの方々の作り出されるノイズだと思っています。ノイズの流れ込み・ノイズにまみれ・ノイズに踊らされ支離滅裂な方向に誘導される事がとても問題のように感じています。
常に、原点に立ち返る事を忘れてはいけない。それがいつも云い聞かせている言葉なのでしょうか?そこに戻っていると確認出来る時、その効果を少しでも確認できる時、あまり本を読まないと云いつつも、結構、素晴らしいと感じる時もあります。
明日は、関連化した内容をお伝えするつもりです。
結果はどうなる事か?
それは、その時、受け止めれば良い。そう考えます。
おしまい