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神学論争の1/3(別名 話し合いはしません宣言は)どうなのだろう

神学論争の1/3(別名 話し合いはしません宣言は)どうなのだろう

2016/07/12

1)表現も様々な様で アッシは神学派1/3が正しいと思う
選挙が終わりました。色々な思惑もあったりする魑魅魍魎の世界と云えるかもしれませんし、物事を決める為政者が決まったという所でしょう。が、一つだけ違和感を持ちました。情報の方々が嬉々として表現する2/3と云う言葉です。
あっしは、時代にそぐわない中で、シナや儒教が泥棒したいよと騒ぐなら、騒がないよう備えを持てば良いと考える立場です。むしろ、神学論争だけに拘り、話し合いなどしないし・聞く耳を持つ意志はないという派が1/3も残ってしまったという表現の方が正直適切の様な気がしています。あちらは融通性もなく一方通行以外ない為政者ですから。

時代に適切でない所がどこなのか、話す事や考える事自体を犯罪と決めつける方がむしろ怖いと思います。話しあいする事自体出来ないというエネルギー体の方が、とても理不尽な様な気がします。言論を司る情報の方々がその危険性を見抜かずに2/3と着眼される方が不思議です。加憲、改憲、創憲派と立ち位置が分かれているのに、2/3という表現で括る自体がおかしい気がします。
少なくとも神学論争は許さないという土俵が作られたという方が正しいのではないかと思うのです。矛盾を解釈の範囲で行う限り、幾らでも言い分を残せる分そこに靄と云う温床が出来上がっていく気がします。ですが、そろそろこの手法に限界が見透かされているのではないかと思います。個人の考えですから各種の考え方があって良いと思います。ところで見方を変えれば、憂国の志士達が作られた明治憲法・アメリカに渡された現憲法。で、今度は国民の総意で出来るかもしれない憲法。そこに参加できるかもしれない機会は賛否の意志は別に素晴らしいと思えるからでしょう。神学論争の土俵は許されない分、情報の方々には既得権益があるからなのか、勉強したくないからか分りませんが神学論争へ持っていく発信は勘弁していただきたく思います。1/3の話し合いを絶対しないと云う為政者の発信からふと、思っただけですが。考える事が余程都合が悪いのでしょうね。

2)物事を共有から始める事と神学論争のどちらが排斥されるべきか
あっしの所の方針は共有という価値観に拘っています。この手法に、いつしか行きついたと云う方が正しいかもしれません。一部だけ、患者に紹介する資料を抜粋してみます。

主訴)左顎の痛みの解放
分析より)正中線≠垂直線
     上顎左萌出際のエンドラインにずれ
     それに適応すべく、上下下アーチ関係成立

舌の空間把握性より、エンドラインのずれに適応して顎がその力関係を吸収している事を示唆している。
結果、左臼歯部位置関係のずれ、高径のずれが成立しているという見方が出来る。
これは、症状から読み取れる現症あるいは、現象である。

 2つの反射試験より確認する予定 (ビデオ撮影予定)
 ①エンドラインの反射
 ②咬筋反射による確認
 ③下顎前歯主体に顎傾斜に補正角を与えた際の確認
 *自覚と他覚による側頭筋腱主体の触診、バランス試験にて確認

ま、こんな感じなのですが… ビデオで撮影しながら痛みが取れる様を第3者の目で確認して頂いたりする時もあります。科学ならば定点定量撮影が必要なのでしょうが、ご自身の痛みが消えていく瞬間をビデオでもう一度確認して頂く時、アッシが何を見ているかそして何を解決すべきかそんな着眼点を共有して頂く事を目的で行っています。

患者の混乱を避けるには、如何に具体的に起きている現症を正しく捉えて頂けるかそこに鍵があるのではないかと考えた訳です。

痛みの発症を単純化していけば良いと考えるのです。
痛みの発症は病理学的に云えば炎症起点があると云う事になります。

で、炎症起点で捉える時、医学用語を省けば「なんで痛みが出るか。唯それだけです」とアッシは、そのように云いたい。アッシのライセンスは国家試験である限り科学と云う枠を逸脱する事は許されないと自覚しています。
*理論と技術は一致を考えつつも、一致しない因子が存在する場合もあるから臨床はややこしい。これは、またの機会に。

炎症起点に細菌感染しかないとすれば、「痛い=歯は根っこの治療/抜歯」を選択するしかないのでしょうかね?そんな話が今回の話し。

3)炎症起点には、細菌しかないのか?
もし、歯科医の関わる仕事が細菌感染しかないならどれほど幸せかと思う時があります。今日、痛みの対峙は(線維筋痛症)でしたが。

バクシネーターメカニズムと云う言葉があります。(ネットで検索できると思います)
まだ、治療展開としては時期尚早という一面もあるので、ミニスプリントを使用して移動させた結果獲得する予定の頬圧のコントロールを加える。その瞬間、改めて身体の痛みが取れていきます。
今日のメニューは下顎の傾斜性のコントロールなのでそれ以上追及はしませんでしたが。頬圧のコントロールをしなくても、十分落ち着いています。次の展開を考えてですが。

炎症という定義で必要情報を上記に該当する考えを抽出する時。炎症は外傷や熱傷などの物理的要因でも引き起こされる発赤・ 発熱・ 腫脹・疼痛を特徴とする症候。(炎症の4徴候)更に機能障害 を含めれば炎症の5徴候と称す。 C繊維の刺激により内因性発痛物質が出現することで痛みが出る。関係ないが、この状態は特異性炎と表記される場合がある。(線維筋痛症はここに今の所含まれないようですが。)

この炎症の集合体に歯科の一部の集団は外力と云う言葉でその証明を加えようとします。
ここに幾つか問題点というか検証すべき事項があれば…どうなるのでしょう?

4)検証から始め直すのは悪くないとするか、神学論争が全てか?
そもそも外力と云う定義が不明確であると云うのがアッシの立場。状況、現症から観察される感染ではない発症状況を外力と判断していると考えます。この外力と云う存在を否定する物ではありません。むしろ積極的に肯定しないといけない場合もある。そう考える時も臨床では多いと考えます。但し、厄介な点は、所見、観察からしか見いだされない、そう、言うなれば必要条件と考えています。でも、普遍性がどこまであるかが規格化できない故にどうしても統一性が取れない。ここが観念から逸脱できない理由ではないかと考えたりします。十分条件がそろえば、明確になるのでしょうが。

ところが、言葉遊びでしかありませんが、この外力から来る炎症、特異性炎と定義づける事は今の所出来ません。しかし、炎症と云う世界観では外力に伴う炎症はその存在を認められます。歯科が(もしかしたら医科かもしれませんが、門外漢なので分りません)歯科医が云えば全て影響力を駆使できる時代はとうに終わっています。民度の向上と云う側面もあれば、逆に細菌感染(虫歯)治療が全てと云う時代も終わったからだと思っています。

云い方を変えればどうなるか分らないのに、定義がないから、かすかな可能性を考えて根の治療を施しても上手くいくのでしょうか?同時に外力と云う存在の定義が曖昧の中で外力の除去・開放に挑戦して上手くいくのか?預金を解約するか、どうかなどという価値観であれば何もしない方がいいでしょうし、何も変える必要な無いと云うのが適切でしょう。しかし、炎症となれば、それがC線維が頑張るせいか痛みが拡がると話は別でしょう。

でも、余計な事はしない方が良い。これは、変わらないと思います。

では、問いかけます。医療である限りライセンス者の使命はどうなるのでしょう?時に話は変わるのでしょうか?それとも、諦めの顔を患者に提供すべきなのか?どちらの顔が正しいのでしょう。とても難しい話です。

基準を明確にする。それが計測と云うアイディアに繋がったりするのですが。
定義が曖昧なら、曖昧な部分を問いかけられないだろうか?
曖昧を変える用語があれば、規格化出来ないだろうか…

そんな想いが共有であったり、検査のお陰で見えるライセンス者を強くする資料であったり、そして、公にする事なのかと考える事であったり、決して、神学論争で済ます事ではないと思います。解決すべき課題を、一個一個例え、個人の努力であったとしても行なうのも、そんな変わり者がいても仕方ないかもしれない、って考えるようしています。

一個の力なんて限られています。公にするのも、3次医療機関ではなく本来すべき1次2次医療機関に引き継いで頂くためだと考える次第です。そんな所に、個人の名誉も栄誉もいらないのでは…

それは、個人の価値観として路傍の石とか市井の草とか決め込んでいるエネルギーのせいではないかと思うのですが。併せて、医療は謙虚な心で取り組むべきという価値観を持っているからでしょうか。個人のアッシは、多分最低な人間です。引きこもりが好きですし社交性など微塵にも無い、そんな程度です。

学会の文章纏めに入り始めて、久々に医療を全面に書いてみました。
似合わないですね。

おしまい

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