1)草臥れました①
2017年に入って、日曜もいつの間にか計測だけを行う曜日になってしまいました。何故か。
言える事はそれを続けないと行けないから、たまりません。
計測からしか見えない世界は、計測を知らない時代には全く持って疎い物と、言葉にすれば当たり障りもない感想しか書けません。
ただ、見え無い何かを見える様にする事で片づけないと、どうにもならないから咬合という世界は厄介です。
2)草臥れました②
例えば、咬合調整で歯を削合する方法があります。赤色、青色と(先生によっては緑色、黒色等)と目的を持たれて調整するのかもしれませんが、ふと思う事もあります。3次元的な動きをする中で、2次元のいうなれば瞬間の動きの点に意味をアッシら、臨床医は考える訳です。
2次元の色から3次元の世界を滞りなく落ち着かせようとする。
言葉にすると具体的意味など遠く、直接的に響くものがない。
そのように思います。
次元の違う次元を、一つの線上に醸し出そうとするわけですから実際は、相当に難しい物だと思うのです。だって、一つの線上に収まらなければとてつもなくおかしくなる気がするのです。呉越同舟、同床異夢。そんな表現も成立するかもしれない。
人間関係なら“距離を開ける”で済ませられても(情報の方は、こと偽の像の国や侵略の華夷には無理やりでも共有させようと左巻き思想全開ですが)口の中は問屋が卸さない。落としどころ探しを反射が行おうにも、次の反射が呼びだされ、肉体まで波及する場合もある。この存在があるか無いか?代理補償という神経・生理学なら肯定されても、咬合という3次元の存在を2次元で可視化を試みる世界では、アッシからすれば地動説で留まっているようにも感じる事があります。
計測から、3次元行動を2次元に可視化する際、いうなれば一直線上に乗らせられないかと考えて事前に準備する訳です。ところが、これが一長一短に行かない。必ず反射の収束を行えないとどうにもならない。
3)草臥れた③
この収束、敵は本能寺ではありませんが一つは筋の存在。これをどうすればいいのか。咬合という可視化の為の色付けで、何か見いだせないか?長年考え試みても来ました。臨床医であれば、多分いろいろな工夫をされると思います。
咬合時の音!一つのキーワードにしてはいましたが、音を色に変えることが出来ないか?アホな事を考えます。
これがそれなりに出来れば…
効果を出すはず。
呉越同舟でも、同床異夢でもなく、共用すべき身体の一部と認識させるにはこれ以外ないだろう。そんなアホな事を考えます。
4)草臥れた④
計測で各種角度を測るものの、もっと分かりやすい方法は無いだろうか。この球状とでもいう中に存在する口腔の角度を見いだせれば…
そこに存在する例えば歯牙、例えば舌、例えば咀嚼筋、例えば嚥下筋への調和を図れないだろうか?
そうすればもっと効果を出せるかも…
で、日曜が休日に戻るかも…
5)草臥れた⑤
呉越同舟、同床異夢ではなく咬合を介し上の顎、下の顎が共有すべき身体の一部と認識できれば。それに関わる頭が、頸が・・・って、考えていて角度を測る場所をあれやこれやと探し続けて、そっか!が見いだせれば…
きっと、日曜は休めるかも!働き方改革が出来るかも…
6)草臥れた⑥
いつもは日曜も技工物の計測です。今日は深夜ですがそれだけは終わりました。ちょっとうれしい。
後は、3人分。日曜行えばよい。いつもは、計測をしながら考えながら、日曜の下手すれば3時ぐらいまで7人ぐらいの模型を計測している。仮眠をして、週を迎える感じ。その生活が終わるかも…。今回は3人ぐらいで済む。嬉しい。
7)草臥れた⑦
そういえば、人と会おうかなって感じで機会を頂戴出来た。達磨でも、少しは手足を伸ばしても良いかなって思い始めて。置いてこぼりでも置き去りでもどちらでも良いのですが、
アッシなりの現実との向き合い方を試みてみようと見つめ直してもいます。
落ち切らない所で、おしまい。