アッシは単純だから真実と事実を結構、一色単に捉えていたような気もします。いえ、正確に言えば、そこまで拘っていないという方が正しいでしょう。
只、ある時から真実と事実を切り離して捉えるようになります。
真実とは多分、それぞれの人の中に属す物なのかと思うようになります。事実は、ただ実際に起こった事なのだと思うのです。
ところが、厄介な事は何時しか真実が闊歩するような気もしています。いえ、真実と言えば操作が許されるのだなって妙に感心する
集団がいるお陰で、考えるようになったのでしょうか?
黒塗りを、忖度した結果、小学校の名前を首相の名前と決めつけた方々もいましたっけ?
歴史を事実と違う真実とやらに決め込んで侵略を試み続ける儒教の国もおります。
困った物です。
そんな事には目を向けずに、相変わらずモリカケと活動に励む方々にはご苦労様とあきれ返るアッシもいます。
民主主義で求める方向性の選挙結果よりも、只、己の真実だけが闊歩する。
正直、嫌になります。
憲法改正は国民投票なのに、あたかも内閣が決めるという真実も、この言葉をどれだけ汚せばいいのだと
活動ぶりには、嫌で仕方ありません。
寂しさを書き連ねても仕方ありません。
咬合という世界は、いったい何だろう?
事実を知りたいというのが、思い返せば元々のエネルギーでした。
歯がすり減ったせいでせいで、顔に痛みを生じる方がいました。
すり減った部分に。薄い紙を咥えさせると痛みが消える。
これが、何を意味するか?
ふと、寂しくなる時もあります。
計測の中に収めるよう歯を変えて、中々痛みが落ち着かない方もいました。
いえ、徐々に痛みの部位が変化し質も量も変わってきているのですが。
ずいぶん楽になりました。
こんな声を聴くと、少しうれしくなります。
でも、筋バランスとの兼ね合いで納め無いと行けないから、実際は中々難しいと寂しくなります。
アッシは、筋肉位という言葉で集約させていますが、これがまた、ややこしい。
この事実を、どう表現して公に出来るのか?
寂しくなるぐらい苦しい物です。
空間把握などいえど、中々のようですし…
さて、そういいながらも明日の時が来ます。
この事実だけは、変えようがない。
仕方ない。
もう少しだけ、頑張てみるか。
国の防衛に携わる方々の緊張感に比べれば、小さな悩みなのでしょう。
でも、とても大きな悩みと感じるから、アッシの心の中の真実は面白い。
もう少しだけ頑張ってみよう。
そんな所で。
おしまい