■2013/11/13 王様の耳はロバの耳 なんて言う話
あたしの所の話かって?まさか!
患者も医院を選ぶ時代です。慢性疼痛を抑えても、患者に都合があり、一端小休止して、コントロールに徹して見れば、治療期間が長すぎると転院を求めることだってあっても不思議ではないです。
さて、最後の課題を…
そう言う訳には、参らないのが人の心と言う物。
それで、良いと思っています。期待に応えられなければ、見切られる。それが自然です。単なる医療機関ですもん。1次医療機関ですもん。あって、不思議ではないと思うのです。“高次機関にバトンタッチでお任せです”もありで良いのでは、と、思っています。責任が消えるので、“ホッ”とするあたしもいます。
だから、単なる物語としてお読みください。身体と歯が関連する訳があるかどうかも分からない時代なのですから。
かつて、開業医を渡り歩き、大学病院を巡り、縁あってどっかの歯科医に通院する事になった患者がいた。
リエゾン外来に頼りながら、精神と肉体を何とか維持していたそうである。発端は虫歯の治療だった。リエゾンとは、精神と肉体に来る苦痛は精神科が担当をして、他の科にかかる事を賢明に協力するとでもイメージして頂けると良いのかもしれない。
虫歯の治療を行って、補綴を入れたら身体がおかしくなった。歯はこっちが痛い。ならば、全体を合わせましょうと、入れた補綴に会うように咬合調整が行われたそうである。すると、てき面に噛み合わせが合わないとなった。
困り切って、転院をする。『ならば、平面を安定させましょう。』と、仮想平面を想定した仮歯を入れて咬合の再構築を狙った考え方に出会った。そして、それに患者はかけた。全然噛めない苦痛は、例えようもない苦痛を全身に与えるからだ。
結果は、もっと悪化を見た。
全身に廻る痛みは、生活障害を引き起こす様だった。線維筋痛症という疑いを持った医療者もいた。只、噛み合わせの再構築を行った歯科医からは、心身医療を勧められ、心身症の診断を受ける。その根拠は、その担当者しか知らない。
矯正も考える。それは、いつしか顎が曲がり始める姿を認めざるを得なかった身体。しかし、どこまで顎が戻るか分からないと言われ、勇気は湧きでず、深呼吸をする事にした。
深呼吸をする為に、苦しみの叫びを誰かに聞いてもらいたく、電話が常に話さなかった。苦しくなると、何時であれ、実家の母親に苦しみを訴えた。それ以外に、救われる方法が無かった。
開業医では、限界があると考え、大学病院を選択する。仮に、A大学とする。
A大学では、まず根の治療のやり直しをする。すると、少し、楽になった気がした。認知行動療法に基づき、仮歯を一本一本治す。ここが高いと言えば、A大学のA先生は、それに準じた仮歯にして、ここが低いと言えば、そこに盛り足してくれた。それを、粘り強く付き合ってくれた。A先生は。
そして、少しは、楽になった気がした。眠れるようになった気がした。
しかし、電話は深夜ではなくなったものの、何時間も『お母さん』と、鳴り響かない日は無かった。どうか、私の人生の台本に『お母さん』という悲痛の声を聞く事の無い日を作ってほしい。それが、一母親が隠し続け口に出すまいと決めていた真実の声だった。
薬は一時も離せなかった。
あたしが、どっかで見聞したお話なのか、フィクションです。
で、身体と歯が関係ないという学派もあれば、身体と歯は関係あるという学派もある。さて、ドラマであれば、この先は…と言う話になるのでしょう。
おしまい。