■2013/10/13 調べるよりブログさ の 気分
臨床と言う奴は、いつも暗いエネルギーをクリニックの中に蔓延させている訳でもない。あたしの性格のせいか、日蔭の雰囲気が表現されているのかもしれない。只、言える事は日々の仕事は淡々とこなす、これに限る。
で、医療って日陰と日向の間にあるいうか、寄り添う物というか、そんな位置付けと想像する事がある。もし、光と影と分けて考えるなら、あたしは陽だまりに近い所の存在と、ぼかす答え方が好きだ。
その持つ意味自体があたしには分からないメディアソースが賛美する絶対美とやらの中に存在する物でも無く、医療は加齢と老化、それに伴う様々な現象から、どう社会生活に関わるか、関われるか、そんな寄り添う存在なのかなって思う時がある。生きる時間に渡って寄り添う物。
勿論、命まで波及している場合とか、緊急性の事態は上記の観念に含める事に無理がある事は承知している。
慢性疼痛にかつてはスプリントを(口の中に入れる装置の総称)使用して、疾病と対峙していた時がある。
さて、そんな方々が、久々にメインテナンスに来られた。クリーニングの方もいれば、久々に装置の確認に来られた方々もいた。
それぞれの患者にドラマがあったような気もする。涙あり。事故で互いに鞭打ちにあった、私の友人は、あまりに症状がひどく、看護に疲れtた旦那と離婚したという話があったような…
で、私は元気になった。
あたしはその時、何をしたっけ?
たまたま。今、咬合を絡めている鞭打ちを持病にした患者は、小康だ。歯ぎしりは落ち着いた物の…
こういう時、歯科は歯科故に…寄り添い続けさせて頂けるのか?
このクリニックの本の少しの昔は、慢性疼痛レベルはスプリントで十分、対応出来た。途中からは、慢性疾患には、てんで調子悪い。その原因と思われる現象の解明にそれなりの経験と言う時間が必要だった錯覚にも陥る。物忘れが激しいから、良く覚えていない。
感覚系を支配する組織の悪さが、次に顎の運動性にどう影響を与えるか?その後、噛み合わせに、歯に順次影響を与え出す。そんな気がしている。無論、あたしの見出した現象故に、成否は知らない。
いや、正確に言えば、患者から知ったという方が正しいのかもしれない。この知った事実のお陰で、スプリントでの限界を知る羽目に陥り、治療形態は相当に乱れた気もしている。そんな話は、機会がある際にでも。
その感覚系の乱れと戦いながら、今日寄り添わせて頂いた線維筋痛症の患者は、良くなった。痛みはない。この顎の悪さと、代理補償の筋活動、神経活動から、呼吸系、骨格系と乱れるような気がする。ま、錯覚と言う事で、一介の歯科医の戯言、適当に流していただければと思うのです。
この患者の治療は、歯科医の域から歯医者の域へと多分変わっていく。この言葉の定義は、また後日。
後日だらけで、落ち切らないけど、今回はおしまい。
唯、医療って陽だまりの樹の如く、地面に強く根を生やし、時間と共に、人に寄り添う物ではないかって思うのです。そんなお話でした。
医療サービスという言葉からは、患者さまで、その究極がお客様で、その集約系がメディアソースの賛美する絶対美なのでしょうか?この時、陽だまりの中、育つべき樹は、枯れる事はないのでしょうか?寄り添いを遠い距離にする医療は、医療サービスという姿でしか、時代にはついていけないのかなって、ふと思います。さびしいですけど。
後1日、後1日で、20日ぶりの休日。楽しみ。個人に戻れる瞬間だから。この時だけは、ネクラ星人止めよう。
んじゃ。