■2013/10/23 タイトルは、まだない。とりあえず、ブログだし…(仮題)
“開業医の仕事とは”といテーマで何かを語ろうとするならば、開業になるまで実は見えないというか、知らない表情が結構ある事が知ると表現すればよいのだろうか?言い方を変えれば、開業したクリニックが持った顔に、合わせて行動するようになると言えば良いのだろうか?
例えば、開業になったA君は、開業医になるまでは保険医(保険で治療を行う事)として、保険治療を行う事を疑問視して、極端な表現を用いれば、自費医(保険にの対比の言葉)の下で修業をし、生活の糧を得ていた。
一方、開業したB君は、開業医になるまで、もっぱら保険医として仕事を行い、自費医の存在を疑問視していた。
A君も、B君も、同じ大学の同級生としたい。で、成績も技能も大学時代はそんなに遜色はなかったとして見る。
修業時代のA君の言い分は、良い治療は保険で行うことに限界があると思う。むしろ、自費で行う方が、良い治療を行える。そして、自費だからこそ、少ない人数を確実に診る能力を持つという話だった。
修業時代のB君は、保険で自費と同じぐらいのレベルの治療が出来る筈だ。その事を分からないで、治療をするのはどうかと思う。
そんな交叉する事も無い、それぞれの言い分で酒の席に座る際、それぞれの主張を楽しく交わしていた。
そして、同じ時期A君も、B君も開業をした。それぞれが考えるそれぞれの地域だ。ここからは、A君ではなく、A先生に。B君ではなく、B先生に。
ところで、これは、今の所、何となく日々書いている。別に、歯科医療とはこうあるべきだというか、歯科経営はこう言った側面で考えるべきだとか、歯科医師の人生はこうあるべきだという意識では一切書いていない。
ブログです。今、あたしが利用しているのは。余興で良いのです。余興で。
粋や酔狂も結構。日記も結構。ビジネスブログなら、業務日誌的構成も結構。あたしは、そんな感覚で書いています。で、あたしの場合は余興。
文筆業を生業にしている訳でもなく、大した文才がある訳でもなく、思いつくまま、気の向くまま、結論等考えずに。で、飽きた頃にとりあえず結論風を書く。そんな感覚です。
何が価値ある文章か、あたしの中でこれが最高っていう世界がある訳でもない。文章なんて、気が向かない限り触れない程度の人間です。只、約束したからが動機で、一日を振り返る作業に利用しているのかな。今の所。
臨床と言う現場は、あたしにとって水を得た魚のような場所ではないと常々思っています。口を開けて…から始まるゴングは、興奮する物でも無く、自分が歯科医に向いていないと思うから、向くよう拘りたいと思っているだけなのでしょう。そんな気がします。
今、疾病と出会って、何とかしようと足掻いて、“へえ~”こんな表情を持つクリニックになったのだと感慨にふける訳でもなく、そこに居ようと勤めるあたしがいます。
On Call が来て、自然と受け入れ、また、疾病と対峙しなきゃいけないと深呼吸をするあたしがいます。
この表情に育ったのは、あたしの力があるとすればほんの僅か。患者との出会い、疾病との対峙、スタッフとの出会いと…出会いと言う言葉が適切かどうかは分からないけれど、多分、そんな出会いを忘れたくないからと思ったからなのかなって、思うようにしています。勿論、流す顔を選べば、それにそぐう表情になるだろうし、切れてばかり入れば、そんな表情が合う様になるのだろうし…不思議ですね。
慢性疼痛の患者が、絶対に順調にいく訳でもないという事は分かっています。でも、それを拘らないと、きっと行けないのだと、一人あくびをしながら、涙目になりながら、表情を忘れてはいけないと、何かを飲み込むそんな感じです。
A先生と、B先生の話はフィクションです。それだけは予め。
気が向いたら、展開を広げたく思います。多分、自分が楽しんでみたいのかな?
そんな感じでおしまい。