■2013/11/07 前の方の過剰接触と 顎機能とやら?
前歯の過剰接触のお話でした。
そんな患者との出会いをして、何かを感じている頃、臨床現場では更にドラマはある物なんです。嫌になります。
90近いお年寄りの患者には、ご家族に、そろそろあたしの限界かもしれないと伝える場面に出くわします。入れ歯の調整で定期的に通われて下さる方です。
あたしは、介護はやっておりません。出来るだけのスキルも能力も無いと判断している事、抱えている病態との対峙でそんな時間を作る枠すらない事。
そんな所が理由でしょう。
ですから、あまりにお疲れのお姿を見て、2階の診療所に上るご苦労を考え、もしかしたら、を伝えないといけないシーンを選択します。あたしの所は、2階なもので…、ね。
通院が難しくなったのなら、介護をされている先生にお願いする事も一つですよ。そんな時間を付き合わせて頂けた事は、幸せなのでしょう。そんな事をふと思います。
そんな臨床での、前歯の過剰接触が、っていうお話の続き。
口腔内を観察させて頂き、前歯の過剰接触を疑います。要点のみ記して行きます。
? 寝姿勢の際は、前歯は当たらない。
? 起きると、前歯が当たる。
? どちらも自覚あり。
? 結果、横になっている方が楽と言う。
? この気持ちを分かってもらえない。
? 奥歯は奥歯で、摩耗なのか、削られた結果なのか、平面性がどうなのかって言う感じ。
? 舌は不思議な運動をして、あっちにモジモジ、こっちにモジモジ。いわゆる付随運動って専門用語では表すようです。
? 起こして、暫く観察すると、口の開閉運動の際、顎運動が付随運動を起こすとでも言えば良いのでしょうか?あっちにモソモソ、こっちにモソモソ。
? 顎に後方成分を与えて見ると、背中の痛みが楽になります。
? 舌の位置覚を落ち着かせてみると、肩の痛みが取れます。
? 両方を一緒に行ってみると、身体が軽いです。
? “ニコッ”と微笑まれます。
? 疼きはありません。
他位に、症状を聞くと、目がしょぼしょぼします。等々
口の中が身体に引き起こす何かは、多分、厄介な代物です。あたしはそう思います。
でも、この“ニコッ”が、あたしにはいつも曲者です。
唐突に話を変えます。心のコンプレックスの為に、美を追求するお仕事がある事を具体的には最近知ります。
きっかけは、『好きな言葉は***です』というフレーズを聞いた所に始まります。個人的には、ずっこけました。衝撃度は相当でした。医療者が宣伝する時代になったんだって…メディアに勇気があるのか、営利が大事なのか、なんでもありなのか。で、ずっこけました。
で、そういうお仕事を選ばれた医療の方々は、美を追求する方々を、お客様と呼ぶ。もてなす所から、美の神々は降臨し、オリンポスの丘からビーナスの微笑みを拝められるのでしょう。
で、ここからプロの世界を、“ナンチャッテ”の想像をしてしまいます。
手術は出来るけれど、理想通りにはならない。と言える凄腕の匠もいらっしゃると想像します。
ビーナスの微笑みの恩恵を受ける予定のお客様は、どう考えるのだろう。
ラッキーなのか、凹むのか。
営利目的なのか、出来ると云われ、結果が伴えば、ラッキーで済ませられるのかな、とか。
理想通りにビーナスが微笑まなかった場合、余計、悩みが増えないのだろうか?
あるいは、想像以上に新しく植えたパーツが、身体と馴染まなかった場合、あるいは、肉体の限界まで弄った結果、修正不能な所まで行ってしまった場合、ビーナスはどころか、アポロンからも見放されゼウスもため息をされた場合、どうするのだろうって。
想像力が、もはや逞しくなくない歳になったにも関わらず、妙に想像したりします。変ですよね。
で、本題。
果たして、この”ニカッ“に答えられる能力があたしにあるのだろうか?所見は、どうやら見切ったようですが、本当か?見落としはないのか。全ては、精査から始まります。
そうそう、最後にナンチャッテスプリント作成法を教えて、もう一発“ニカッ”
もっと、早く腰を上げるべきだった。
この言葉で、また、思いだします。
『祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色盛者必衰の理をあらわす 。おごれる人も久しからず。ただ春の世の夢のごとし。たけき者も遂には滅びぬ 。偏に風の前の塵に同じ。』
お仕事としてお引き受けするか、まだ分かりません。あたしは、それが自然だと思っています。状態(病態)を共有できるか、そして、戦える覚悟をお互いに結べるか、事、健康に関する疾患との戦いは、舐めたらいけません。それだけは事実のようです。そして、お医者先生と、もしタッグを組めたらどれだけ、素晴らしいかと、憧れる時もあります。そんなお話は、また機会があれば。
そうそう紹介いただいたお医者先生には、あたしの所見はお伝えしました。
ま、そんな所で、おしまい。
人間の身体は素晴らしい。そして、その前で、いつもあたしはたじろぐ。