■2014/02/04 でも、人間が介在する物
さて、戦略的価値枠治療という造語を作ってみたあたしなりの意見を述べたく思うのです。
立ち位置の確認として、保険制度を肯定する側に立っています。で、国を愛する行動があたかも問題と言うスタイルと、自虐的に受け入れる事が適切で、右傾化という表現を用いることで、あたかも悪だというイメージを扇動・誘導していると勘繰りたくなるスタイルに、いい加減、食傷気味の立場にいます。
で、あたしが知る自費診療の世界をあげてみたく思うのです。情報としては限られていますが、右傾化を主張される方々が大事にする世界でなく、きっと、それ以外の世界だと思います。ま、この場合、日本でないという理解で如何でしょうか?
表現は遊びながら、適当に始めてみたく思うのです…
違いを出して行けば、何かが見えてくるかもしれません。と言うか、あたしも整理が完璧になされている訳ではないのです。よければ、何気に考えてみてください。
“戦略的価値枠治療”と“伝統的価値枠治療”の違い
“戦略的価値枠治療”
専門医として、特化した治療をしている。それぞれが、特化した治療以外行わない事が基本。そして、結果、連携の下、系統だった治療が行われているらしい。
ジャジャン!
“伝統的価値枠治療”
専門医という制度もあるが、実際にはご専門以外の治療も行う。専門医で、
ジャジャン
“戦略的価値枠治療”
専門医ですから、それに応じた設備投資が行いやすい。また、治療費設定も、それに応じて歯科医に決定権がある。
ジャジャン!
“伝統的価値枠治療”
あらゆるニーズに対応できるようトレーニングを積まされるが、設備は、専ら患者層のステージに委ねられてしまう。
ジャジャン
“戦略的価値枠治療”
専門医として、提供できる技術は決まっている。言い方を変えれば、扱う疾病が限られている。一日の診療人数は数名程度で済む。技術背景の一本化が出来る分、より高度な方策を取りやすい。技術の質を高みに極める為の道が単純に導ける。その道一本と言う奴ですかね。
ジャジャン
“伝統的価値枠治療”
提供できるというよりも、応えなければ行けない、あるいは要求される技術量は多い。扱う疾病が専門医より多いから。一日の診療人数は、所属するステージに従う。技術の質を高めるためには、道は単純ではない。
と、こんな簡単な整理を行った上で、再度確認。
それぞれの価値観の枠で、デンタルサイクルが進まないよう考えるとした場合、実は、大きな差が出る可能性があるのかもしれません。個人の所感なので、分かりませんよ。
例えば、連携の下という旗印の中、治療が進むとすれば、どこでエラーがあったか分からないまま、デンタルサイクルに入ったのか分からない可能性がある。
例えば、患者の数が多くて、結果、エラーを見落とされる可能性がある。
こんな表現が認められるのでしょうね。
物事には、絶対は無いと自然と言える年齢になったようです。文学的表現を付け加えるならば、正に、それが自然なのでしょう。そんな事を、私個人は、思っています。
唯、どんな治療形式であれ、歯科医はデンタルサイクルには向かわないよう、考えられている事だけは間違いないと思います。只、その所属するステージにより、程度の差が生れてくる事は、人間が介在する証明なのかもしれませんね。
おしまい。