■2014/12/12 水平系とか、正中系とか⇔認知行動療法とか 2
噛み合っていないから、その隙間に埋めて当たり感を回復しよう作戦という物があるとする。
アッシは、この手法は妥当と言う判断を持ちます。
でも、この位置づけが対処療法なのか、原因、根治なのかで評価は分かれるべきだと言う立場も併せて取っています。
言うならば、テクニックとして妥当とか、成立すると言う表現と、その処置をこの現症で行う事は適当か適切という評価とは違うのではないかと思うのです。
目的と手法というのでしょうか・
この2つの事実関係を向こうに置いて、現症の意味を向こうに置いているように何となく感じるのは気のせいなのか?そんな感覚を覚える次第です。
誰に?
まず、整理しなければならない事は、歯科の歴史なのかと妙にあっしの場合、思ったりもします。
患者中心の医療の時代という目的に手法としてインフォームドコンセントなんて手法が導入されます。ま、説明、納得、合意こんな感じなのでしょうか?
で、ここに対処療法・・原因療法・根治療法までカテゴリーライズがされるとすると、問屋が変わる気がします。ここの立ち位置を明確に(多分、先に医療者が、次に患者の主訴から解決というステージにおける課題からになるのでしょうか?)出来ないと、事はややこしくなる気がします。
手法に対する説明なのか、目的に対する説明なのか?
それが、課題になるのではないか、そんな事を考えたりもします。
ここの整理が、される事が多分、大事なのかもしれない。そんな事を思う次第です。
でも、仮に基準が不明確な場合、認知行動療法に頼らないと行けないのかもしれません。
そう考えると、基準がない場合、原因とか抜本とかの捉え方って、難しいと歯科の場合は思います。
でも、観念論だけには縛られる訳にはいかない。そういう時、認知行動療法という手法は有効なのかもしれませんん。
難しいですね。
歴史の記録は無視して、こうあるべきだと言う勝手な思い込みで、性奴隷商人になり下がる方々よりは、ましなのかなって思いたい物です。
おしまい